丹波市春日町野村の婦木農場で、村山日南子代表をはじめ、中井美知子さん、佐々木智美さん、中村稔さん、土井利彦さん、宮本幹江さんと私たちは、婦木さんご家族の温かいおもてなしを受け、奥様の心尽くし朝食をいただいた後、
昨日と同様に2台の車に分乗して、同じ春日町の東中にある、「丹波大納言小豆黒さや会」柳田隆雄さんのもとを訪ねた。
丹波市春日町の土井孝浩さんと、安田昇五さんは、泊まらずに自宅から直接柳田さんのお宅に来て待ってくれていた。
篠山へ通ずる旧道と県道69号線が交わるところに自然石に「大納言小豆発祥之地」が刻まれた碑が建立されていた。
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碑文には「大納言小豆の由来」とあり、要約すると、
宝永2年(1705年)に当時の丹波の国亀山藩主(青山下野守)が、庄屋に丹波の国、国領村東中(現在の兵庫県丹波市春日町東中)で生産された小豆を精選して幕府に献上しその中のいくらかを京都御所に献納した。
その後、朝廷への献上は明治維新まで続けられていたとの記述が残っているという。
しかし「質より量」、交配種の時代になったことから、一時は栽培がほとんど途絶えて、まさに幻の品種だった。
柳田さんは、宮大工をされていたそうだが、地元東中で母親だけが、コツコツと栽培していた黒さやの小豆が、2本の1升瓶に入れて大切に保管されていたのを、ある時味噌蔵で発見したそうだ。
それから柳田さんは母親の思いを引き継ごうと、栽培を始めたことから、「黒さや 大納言小豆」の復活がはじまったという。
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柳田さんの案内で、黒さや大納言小豆の収穫体験をさせてもらった。
この後、学校などの収穫体験の予約がたくさん入っているようだ。
その年の作柄によっても異なるようだが、東中の寒暖の差が大きいことが品質の良さとなっているが、今年は暖かなのか、黒さやの色がうすいという。
柳田さんのお宅の前を通る旧道は、遠く舞鶴若狭自動車道の陸橋の下をくぐって、三尾山と黒頭峰の間、佐仲峠を抜けて篠山に通じていて、
京都や大阪と丹後を結ぶルートとして、江戸の昔は賑わっていたと云う。
奥さんの明子さんは、黒さや大納言の食文化を伝え、大納言小豆の物語を絵本などにまとめている。
お料理も、「命のつながる野菜を化学肥料や農薬を使わずに栽培しています。」とあり、
命のつながる野菜として、世田谷に伝わる伝統大蔵大根は御所柿とで「柿なます」に、高知に伝わる田村カブも使っていて、間引き菜のあお和えに、
小豆味噌の味噌汁、カボチャと小豆に神戸蓮根とこし小豆、おはぎ、丹波地鳥に小豆のソースと花オクラ、白菜の胡麻和え、真菰に黒ゴマ、黒豆、奈良漬とぬか漬。
柳田隆雄・明子ご夫妻
「語りべサークルこんぺいとう」の、畑さんと大槻さんが丹波の昔ばなし「割れない大納言あずき」の大型紙芝居を見せていただいた。
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物語を要約すると、旧道を通る巡礼の話になる。
ある日の事、峠をおりたところで若い娘の巡礼が腹痛で倒れていた。
それを見かねた村の者達が、家に連れて行きみんなで代る代る看病したそうだ、
巡礼は、父の病が早く治るようにと寺廻をしていたわけで、途中で世話になったらこれを礼に渡しなさいと言われてきたと、数粒の小豆を差し出し、丁寧に礼を言って村を後にしたという。
春になって、村の衆は巡礼の娘からもらった小豆もまき、大きく育ったさやは真っ黒で、中には大きな粒の小豆がぎっしりと入っていました。さやの色は黒いが見事な小豆でした。
そのようなことから東中の里では黒ざや小豆がたくさん作られるようになりました。・・・・・。
黒さや小豆は中身がぎっしりと詰まっているので、一粒ひとつぶが俵型に角ばって成長し、縦に七粒積むことさえできます。
その後、黒さや小豆の話を聞きつけた、この地方亀山藩主青山下野守の知るところとなり、五代将軍綱吉に献上されました。
小豆を炊いた綱吉は、黒く大きく膨らんだ小豆は割れもしないで煮えているのを見て、
腹も切らずにあることから大納言小豆と名付けました。
大納言殿は何があっても腹を切らないからと、小豆を褒め称え、京都の御所にお住いの天皇様に献上されました。天皇様も大そう縁起の良い小豆だとして喜ばれました。
この時から、東中の里でとれる黒さやの艶々とした大きな小豆は大納言小豆と呼ばれるようになりました。
その後、宮中へはお祝いがある都度献上されています。
このストーリーは奥様の明子さんの作だそうだ。
お米の勉強会の中井美知子さんからのリクエストで、柳田明子作「つながらない種」を話していただいた。
奥様の語りで土井孝浩さんがサポート
この話、種屋さんが作り出した一代雑種の交配種の話で、「つながらない種」
東京でも、種を通して命がつながっていく授業を、江東区立第五砂町小学校や、足立区立の小学校でも行われているが、素晴らしい絵本だ。
今回、村山日南子代表のご配慮で、丹波までご案内をいただき、大変勉強になった。
村山代表ありがとうございました。
皆さんは、翌日までツアーは続くようだが、私はここまで、土井孝浩さんの車で、三田まで送っていただき東京に戻ったが、20時になっていた。