会場を八王子駅近くの「けいの家」に移して、”高倉ダイコンの食べ尽し” の貸し切り特別コースとなったが、そこでは、福島秀史代表がサプライズを用意していた。
乾杯を指名され、高倉ダイコンの歴史について
高倉ダイコンは大正10年に、八王子市高倉に住む原善助さんが、滝野川の種苗店で ”みの早生”のタネを買い求め、これまで栽培していた練馬尻細大根の間に種をまき、採種をしたことから、自然交雑により高倉ダイコンが生まれたと、一言云った後、乾杯をした。
今回のツアーには最初から、生みの親・原善助さんのお孫さんが参加されていて、けいの家に来て、福島代表から紹介された。
原豊さん、由美子さんご夫妻の、由美子さんがお孫さんで、背の高い、眉毛の濃いお祖父ちゃんで、可愛がってもらったという。
豊さんは奥多摩出身で、サラリーマンだったから休みの日だけ、種まきやトラクターの運転などの手伝いをしていたという。
先代の元治さん(善助さんの息子)が59歳と若くして亡くなられたが、昭和60年を最後に、高倉ダイコンは栽培していない。
上の画像をクリックする
福島さんが、原さんを探せたのは、映像8O2(はちオーじ)の高橋陽さん(写真左下の右)とのご縁があったからだ。
ビデオを趣味とする同好会の事務局をされている高橋さんは、12月3日に同研究会が主催した「高倉ダイコン講座」、
私は行けなかったが、高橋さんは参加され福島さんに原さんの親戚を知っていると伝えたことからお孫さんに結びついたという。
福島さんは原さんから善助さんの貴重な写真をいただいた。
立川さんも市民センターの役員で、ご夫妻にお会いしていたようだが、お孫さんとは知らなかったという。
豊さんに、残っている畑で高倉ダイコンを栽培してほしいという、福島代表の要請に、高倉ダイコンで集まった参加者の熱気を、受けていただけたようにも見えた。
同店では、「高倉ダイコン祭り」は、野村浩司調理長が頑張って、新しいメニューも生まれていた。
上の画像をクリックする
刺身に生の高倉ダイコンを挟んでいた。
蒸した野菜にも、高倉ダイコンが・・・、しかもマヨネーズに高倉ダイコンの葉が混ぜられていた。
ポン酢用に、高倉ダイコンの葉。
ピラーで削った高倉ダイコンとニンジン、ハマチのしゃぶしゃぶ。
上の画像をクリックする
味がいいというオスのシシャモと、焼いた干した高倉ダイコン。
人生伴奏ロックの川村いさみさんが、ギターをかついてツアーに参加。
野菜の歌を歌ってれた。
最後の締めは、江戸東京野菜ジェラードの八王子しょうがミルクがをいただいた。
北澤秀彦代表は、立川さんの畑や、東光寺だいこんの奥住さんの畑にも来ていた。
ご夫妻に見送られて・・・。
上の画像をクリックする
江戸東京野菜コンシェルジュ協会の納所二郎理事長の締めのあいさつで閉会となったが
主催者の、多摩・八王子江戸東京野菜研究会は、福島秀史代表をはじめ、石川敏之さん(江戸東京野菜コンシェルジュ) 、八幡名子さん(江戸東京野菜コンシェルジュ)、北村淳さん(江戸東京野菜コンシェルジュ)、加藤英輔さん(江戸東京野菜コンシェルジュ)、の皆さんご苦労様でした。