江戸東京野菜コンシェルジュ協会が実施している育成講座では、江戸東京野菜の栽培を行っている生産者にその思いを語ってもらっていて、これまで小平市の宮寺光政さんにお願いしているので、今年も予定していたが、今年から小平市野菜組合の組合長に就任されたとかで、先約が入っていると断られた。
と云うことで、早稲田ミョウガをはじめ、数種の江戸東京野菜を栽培していただいている井之口喜實夫さんにお願いをした。
急なことで、井之口さんには無理を言って引き受けていただいたが、パワーポイントを任せていただいた。
テーマは「私と江戸東京野菜 井之口喜實夫の農業」だ。
パワーポイントを作るのに、井之口さんのお宅に伺って、ご意向も伺った。
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井之口さんは、昔の航空写真を用意されていた。
昭和24年にGHQが敗戦の日本国土を撮影していたが、練馬の中央部は農地の中に農家が点在していた。
現在のグーグルマップとの比較して紹介した。
井之口さんは、3代目、専業農家、後継者の勇喜夫さんと耕作。
専業農家 畑は4か所で、80a
主産物 キャペツ栽培、初夏産 5000ケース、秋冬産4500ケース、東京新宿ベジフルの練馬支店等に出荷
これまで主な受賞と、農林水産大臣賞8回うち立毛審査2回、東京都知事賞21回
「江戸東京野菜との出会いは、2010年8月21日で、頼まれて初めて早稲田ミョウガ捜索隊に加わったのがきっかけ。
10年前まで、父親から引き継いだミョウガ栽培をしていて、ミョウガダケを生産し出荷していた。
早稲田ミョウガ捜索隊では、早稲田大学の学生さんたちと早稲田地区を探し回った。
早稲田ミョウガの捜索には、NHKニュース7のテレビクルーがついてきていた。
東京では干ばつが続いていて、これまで発見した場所を確認して回ったが、ミョウガの葉が枯れているところもたくさんあって、1時間半ほど探し回ったがミョウガ発見の撮影は無理かと思われた.
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その時、西早稲田の旧家の庭に沢山みょうがが生えているのを発見し、NHKのテレビクルーに伝えたことで、その日のニュース7で放送された。」
「ミョウガが休眠状態になった12月に、改めて西早稲田のお宅を訪ねた。
地下茎をいただきに行ったが、快く庭の隅を掘らしていただいた、持ち帰った地下茎は畑の隅に穴を掘って仮植した。
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4月に定植するにあたり、根は1/3しか使えなかった。
長い間、植えっぱなしの状況で、地下茎が細く力がある茎が少なかった。」
「その年の9月に出たミョウガの子は、早稲田ミョウガの晩生の特徴は出ていたが、1年目と云うこともあり、は、満足のいく色が出なかったが、一部に現れた赤色に期待を持った。」
「2012年6月 昔、市場に出荷していた、
ミョウガダケの試作を行ったが、皆さんの反応は良く需要が見込めるものだった。
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ミョウガダケのまるきかたを再現してみたが切ってしまうと、
そこから荷が傷むので、現在は切らずに葉付きで出荷しているが、
それが料理人の新たな発想につながった。
2013年2月から、本格的にミョウガダケ栽培を始めた。
これによって、早春のミョウガタケ、晩夏のミョウガの子と
早稲田ミョウガの年2回生産に結びつけた」
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「2012年10月から、早稲田大学が東北支援で、気仙沼の戻りカツオを早稲田商店街で購入することで
経済的支援を行うというもの。早稲田ミョウガを鰹の妻にして食べる。
早田先生は、学生たちを連れてきたので、都市農業の現状を見ていった。」
「早稲田の鶴巻小学校から校内で栽培したいとの依頼があり協力して、畑づくりも行った。
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みょうが畑の神明様と云われた、早稲田鶴巻町の天祖神社の例大祭に生産者として奉納している。」
「2015年11月に新宿区教育委員会保健給食・幼稚園係小林明子主査から、学校給食にミョウガダケを使いたいという話が持ち込まれた。
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早稲田ミョウガタケの卵とじが出され、
その日、落合第三小学校3年生に対して授業でミョウガの話も行っている。」
「早稲田ミョウガ以外の江戸東京野菜の栽培も始めた。
馬込半白キュウリ、内藤とうがらし、雑司ヶ谷ナス、千住ネギ、後関晩生小松菜、写真なし、亀戸ダイコン、寺島ナス、
江戸東京野菜は、固定種だから交配種のようなわけにはいかないが、それだけに上手く出来たときには達成感がある。
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江戸東京野菜の代表的利用店、ホテル・カデンツァ光が丘の石川智総料理長は、スタッフと訪ねてくれた。
日本橋「ゆかり」の三代目野永喜三夫さん、押上「よしかつ」の佐藤勝彦さん。新宿御苑「レストランゆりのき」の伊藤秀雄シェフなどスタッフの皆さんも来てくれる。」
井之口さんの講演は好評で、育成講座受講者にとっては多岐にわたって日夜生産に努力する農家の思いを受け止めてくれたようだった。