2017年03月03日

堀川ゴボウは滝野川ゴボウだと云うが、どうしてあんなに太くなるのと聞かれた。


先日、友人の江戸東京野菜コンシェルジュと話していたら、この冬、京野菜を食べてきたという、土産話になった。

京都弁で接客をされながら、懐石料理を食べてきたようだが、お料理は、その地域の言葉やその場所の雰囲気も味わいとなるため、伝統野菜はその地域の風土の中で食べると、味も違う。

そんな話の中で、京野菜から発展して、江戸東京野菜の話になったが、堀川ゴボウの話になった。

堀川ゴボウは、滝野川ゴボウだと教えてくれたのは、京都の鷹峯で京野菜を栽培している樋口昌孝さんにだった。




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東京では、小平市の岸野昌さんが固定種の滝野川ゴボウを作っている。

堀川ゴボウの物語は、伺うところによると、秀吉が一時政務を執り行った平城の聚楽第が、秀吉亡き後、取り壊されると、その堀はゴミ捨て場となり、そこに偶然ゴボウが一本葉を茂らせていたのが発端だという。

当時の事だから、ゴミと云っても生ゴミのようなものが中心で、これが堆肥となったか、年を越したゴボウを掘り起こすと、中はスが入った太いゴボウだった。
しかしもったいないと、食べると香りが良いものだったという。



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岸野さんは、堀川ゴボウを試作しようと、二股など商品にならないゴボウを別の場所に仮植していた。

上の画像をタップすると拡大。

京都在住の久保功先生(野菜文化史研究家) が、スクラップの中から執筆した京都新聞を送ってくれたが、滝野川ゴボウであることが明記されていた。

この聚楽第の外堀があったあたりが堀川で、江戸時代の初めころからこの地で栽培が始まったという。

これには、諸説があるようだが、この話を聞いて納得したものだ。

友人は、物語は分かったが、滝野川ゴボウがどうしてあんなに太くなるの!、不思議!!、という。

滝野川ゴボウをどのようにして栽培するかには、独特の技法が伝わっている。

まず滝野川ゴボウの種を2月に蒔いて、一般的な手法で栽培する。
ある程度大きくなった梅雨の頃、一度引き抜いて収穫する。 ここまでは滝野川ゴボウだ。

ここから、滝野川ゴボウは、京野菜の堀川ゴボウになっていく、
抜き取ったゴボウを一定の長さに下を切って斜めに伏せ込むのだ。
JA京都のHPによると、「植える角度は15度」とある。
15度の角度で葉は切って寝かせて植え直す。

この栽培法、練馬大根(固定種)などの採種でも行われる方法で、選別された採種用大根は寝かせて植え直して抽苔を待つ。

「堀川ゴボウ」はここからが採種用大根とは異なるところで、土をかけた上にたっぷりの有機質肥料を乗せていき、そこから二次育成が始まり、均等に太くする。

「堀川ゴボウ」は、11月上旬から12月下旬にかけて収穫する、YouTubeで、生育の様子を紹介している。
特別な伝統の栽培技法で、滝野川ゴボウが堀川ゴボウに変わっていく。

因みに、滝野川ゴボウは、抽苔が少ない江戸東京野菜で故渡邉正好氏が育成した渡辺早生ゴボウなどが使われていたようだが、最近はタキイの柳川理想なども使われていると聞く。


posted by 大竹道茂 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 全国の仲間の話
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