2017年04月02日

多摩川の下流域、六郷の土手にも、ハマダイコンの花が咲いていた。


先日、二子玉川の多摩川土手(堤) にハマダイコンの花が満開だったことは報告した。

山形大学の江頭宏昌教授に山形の事例を伺ったが鶴岡市の内陸に生えていて「野良大根」と呼ばれているそうだが、調べみるとそのあたりは、縄文時代には海だったという。

それほど昔に、海流に乗って種が運ばれてきていた。

多摩川の二子玉川にあると云うことは、それより下流域も調べおこうと、都心に行ったときに品川から京浜急行で六郷土手に向かった。






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第一京浜国道の六郷橋は、お正月の東京箱根間往復大学駅伝競走で、鶴見に向かっての1区であり、大手町のゴールに向かっての10区として海からの風が気になる橋だ。

慶長5年(1600)に家康が六郷大橋を架けたと云われているが、洪水で流されてからは、明治に至るまでの200年の間、八幡塚村(現大田区東六郷) と川崎宿(現川崎区本町) の間を渡し船に頼っていた時代が続いたと記録にある。

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六郷土手駅の京浜急行電鉄の六郷鉄橋を挟んで、下流側に、第一京浜国道があり、上流側には二本の東海道本線の鉄橋がかかっている。

東海道本線は明治3年(1871)に、木造橋が架かり、明治9年(1877)  に鉄製に架け替えている。
京浜急行の前身大師電気鉄道は明治32年に木造橋を架け、明治44年に鉄橋が開通している。






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六郷土手に来た本来の目的、ハマダイコンが自生しているかの確認だが、六郷橋から河口方面の土手は、すでに基礎部分などの改修工事が行われていて、ハマダイコンは見当たらなかった。

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川の流を確認のために河川敷を歩いて行ってみると、大田区の占用境界の杭。
その先に、鳥が運んできたのかハマダイコンが数本。
河川敷の護岸はしっかりした石積みがされていた。






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第一京浜国道の六郷橋、京浜急行の鉄橋、JR東海道本線の二つの鉄橋を超えて上流側に回り込んだ土手の上に、ハマダイコンが咲いていた。

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ハマダイコンが群生して咲いていたところは一カ所だったが、多摩川の下流域から二子玉川まで至ったことが確認できた。

追録

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第一京浜国道・六郷橋の上り線から「旧提道路」に下るロータリーの内側に「宮本台緑地」がある。
そこに、天才橋梁設計技術者増田淳が設計した旧六郷橋の橋門と親柱1本が移設され保存されていた。

追伸

江戸東京野菜の奥多摩わさびは、多摩川を筏に乗せて下り、
六郷の貯木場まで運んでいくと、
そこから神田市場へと運ばれていった。
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筏の貯木場があったことは、大田区の郷土史家・樋口和則先生の
「大田区の史跡と歴史・デジカメ散策」に掲載されている。

樋口先生には、一昨年にお会いしていて
今回もリンクの了解を得るのに電話でお話をした。




posted by 大竹道茂 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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