先日、更科堀井「春の会」の打ち合わせで、今度、八王子のタケノコ堀にいくという話を聞いていたが、案内すると云う福島秀史理事(江戸東京コンシェルジュ協会) に、どこの竹林かと尋ねると、高倉大根の立川太三郎さんのお宅に5時半だというので、出かけた。
八王子市は竹林が多く、山林が孟宗竹に占領される勢いで、荒れたところも多い。
立川太三郎さんのお宅の裏山は竹林になっているが、きれいに整備されていた。
丁度、南斜面にあたることから、市内でも最も早く直売所に出荷したようだ。
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立川さんは、慣れた手つきで次々に掘っていくが、
斜面だから掘り辛そうだ。
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タケノコに傷をつけずに上手に掘れた。
孟宗竹の物語@
江戸での歴史は安永年間(1772〜81)、築地鉄砲洲で幕府御用の回船問屋を営む山路治郎兵衛勝孝が、特産物のない戸越村(現在の品川区)に別邸を建てた際、薩摩から取り寄せた。
山路家にも伺い、貴重な資料を見せていただいた。
更科堀井の持田さんも、慣れないスコップで挑戦。
孟宗竹の物語A
初めて掘りたてのタケノコを、切り口の柔らかいところをかじった二人は、甘い、みずみずしい。
お二人が体験したことが、更科堀井の新しいお料理に生かされることと期待している。
滝山の斜面に遅咲のしだれ桜が満開だった。
孟宗竹の物語B
江戸末期には、目黒不動尊山門前の料亭でタケノコ飯を売り出したところ好評で、タケノコは目黒に限ると「目黒のタケノコ」の名は有名になり、正岡子規も句に読んでいる。