2017年04月23日

更科堀井の料理人が江戸東京野菜のタケノコ(孟宗竹)を堀に八王子の竹林にやって来た。


先日、更科堀井「春の会」の打ち合わせで、今度、八王子のタケノコ堀にいくという話を聞いていたが、案内すると云う福島秀史理事(江戸東京コンシェルジュ協会) に、どこの竹林かと尋ねると、高倉大根の立川太三郎さんのお宅に5時半だというので、出かけた。

八王子市は竹林が多く、山林が孟宗竹に占領される勢いで、荒れたところも多い。
立川太三郎さんのお宅の裏山は竹林になっているが、きれいに整備されていた。
丁度、南斜面にあたることから、市内でも最も早く直売所に出荷したようだ。





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更科堀井からは、河合孝義料理長と持田拓也さんが来られた。

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立川さんは、慣れた手つきで次々に掘っていくが、
斜面だから掘り辛そうだ。






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立川さんの掘り方を見て学んだ河合さんは、タケノコ堀の体験。

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タケノコに傷をつけずに上手に掘れた。

孟宗竹の物語@
孟宗竹は元文元(1736)年、中国との交易の中で琉球国が薩摩藩に伝えた揚子江河口近くに生えている江南竹で、島津家(薩摩藩主)の別邸・磯庭園に江南竹の竹林がある。

江戸での歴史は安永年間(1772〜81)、築地鉄砲洲で幕府御用の回船問屋を営む山路治郎兵衛勝孝が、特産物のない戸越村(現在の品川区)に別邸を建てた際、薩摩から取り寄せた。
山路家にも伺い、貴重な資料を見せていただいた





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更科堀井の持田さんも、慣れないスコップで挑戦。

孟宗竹の物語A
特産となった品川からは、江戸になかった大きな江南竹のタケノコを、江戸っ子達に知らせようと、竹かごに入れて馬に振り分けにして積んで、人目に付くようにして、神田市場へ出荷していた。





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初めて掘りたてのタケノコを、切り口の柔らかいところをかじった二人は、甘い、みずみずしい。
お二人が体験したことが、更科堀井の新しいお料理に生かされることと期待している。

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滝山の斜面に遅咲のしだれ桜が満開だった。

孟宗竹の物語B
これまでにない大きなタケノコで、その大きさに誰もが驚いたとされ、その名も、中国 呉の政治家・孟宗が冬の竹林に入って母孝行にタケノコを採った古事から日本では、その偉大な名がついたもの。

江戸末期には、目黒不動尊山門前の料亭でタケノコ飯を売り出したところ好評で、タケノコは目黒に限ると「目黒のタケノコ」の名は有名になり、正岡子規も句に読んでいる。

追伸
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河合さんと持田さんが八王子で収穫したタケノコが、
更科堀井のfacebookに掲載されていた。


posted by 大竹道茂 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 八王子の伝統野菜各種
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