先日、星野直治さんが接ぎ木をした寺島ナスの苗を、分けてくれるというので、都立瑞穂農芸高等学校の横山修一先生に、電話をしたら是非いただきたいというので、星野さんの了解を得て苗をお持ちした。
横山先生は、江戸東京野菜に取り組み始めたのが、都立園芸高校時代の2010年からで、当時の生徒由井和也君が、生産者のところを訪ね歩いて、江戸東京野菜の苗やタネを集めて、園芸高校で栽培し始めたことから、横山先生の指導が始まった。
現在、由井君は、三國清三シェフの食育等を手伝ったり、世田谷産食材でマルシェをしたりで、江戸東京野菜に、今でもかかわっている。
5月15日から母校の砧中学校にクラブ活動の、部員20人もの栽培部を創設し指導すると聞いている。
横山先生の教え子は、江戸東京野菜を次の世代に伝える道を選んだようで、頼もしい限りだ。
畑の方に伺うと、食品科の生徒、田村真実恵さん(左)、内野美紅さん(右) が作業をしていた。
2人は、瑞穂町の町議会が発行している広報誌に特集で取り上げられたと見せてくれた。
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「瑞穂七色唐辛子」で六次産業化につなげたい
加工してくれる事業者を見つけたい。と・・・・。
当ブログでも「瑞穂七色唐辛子」は紹介している。
馬込三寸ニンジンが、抽苔して数日中に開花しそうだった。
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馬込三寸ニンジンを採種するといっていた
話に夢中になっていて、肝心の横山先生の写真をきちんと撮るのを忘れていたが、苗物の準備をされていた。
田村さんと内野さんは、食品科の畑でおいねのつるいもの間引き作業を行っていた。
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他には、世田谷の宇名根ネギと高倉大根の花が咲いていた。
檜原のおいねのつるいもと、奥多摩の治助芋も栽培されていた。
JA西東京が広報誌で、奥多摩の大丹波で治助芋を栽培している原島和文さん(組合員) を紹介しているが、「奥多摩に住んでいた治助さんが、隣の檜原村から種芋を持ち帰ったのがその由来。」と書いている。
今年度から、横山先生は実業部主任になられていた。
同校は、園芸科学科、畜産科学科、食品科、生活デザイン科からなるが、実業部主任とはこれら各科の取りまとめ役だそうで、今年からさらに忙しくなりそうだが、引き続き、江戸東京野菜をお願いしてきた。
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