2017年06月13日

1979年撮影の映画「東京農業と都民の暮らし」のビィディオが出てきた。


先日、NHKアーカイブスに、本棚の奥から出てきたカセットビィディオを送ったことは、紹介した。
その中に、1979年に撮影した映画「東京農業と都民の暮らし」が入っていた。

 当時、都市に農地はいらないとする国の政策・農地の宅地並み課税によって三大都市圏をはじめとする、都市農家は厳しい立場に置かれていた。

 東京の農業は多岐にわたる都民の需要に応え、新鮮な野菜や畜産物、あるいは花などを供給し、また、観光農園・市民農園で農業に参加するなど自然にふれて頂いていた。

その農地は緑やオープンスペースとしての機能もはたしている。

 このような東京農業を知って頂こうと、農業者全員が費用を出しあって制作したものだ。

 

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映画の製作は、全国農村映画協会で、撮影は1979年7月の夏果菜のトマト、ナス、キュウリから始まり、秋冬産野菜、

さらに翌年の春まで、東京で生産される農産物の栽培形態、収穫の秋祭り、市民農園、花木の栽培、畜産等のほか都市農業の多様な形態、

さらに地域コミュニティーと都市農業とのかかわりなどを、本都41区市町村で撮影したもので、38年前の東京の農業だ。

編集とナレーションなど音入れは、麻布の「あおいスタジオ」で行われ、私と農業会議の原修吉さんが編集作業に加わり、画面を見ながらナレーション原稿を修正、加筆、時には納得がいくまで議論を交わし、2日間で完成にこぎつけた。

この映画は多くの都民に見てもらうため、都段階では16ミリフイルムやビデオテープにして、国会図書館をはじめ都立中央図書館や日比谷図書館及び関係方面に幅広く寄贈し、活用方を図った。

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昭和54年(1979)、東京の農地面積は13.900haだったが、34年後の2013年の農地面積は半分の7.404ha(農林水産省調)になってしまった。




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江戸川区を中心に栽培されていた小松菜。
固定種なのか、交配種なのか画面からは定かではないが、葉に袴があることからすると固定種かもしれない。




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葛飾のネギ。
葛飾で栽培されていたネギは新宿ネギ、「しんじゅく」ではない、「にいじゅく」だ。
固定種のネギの時代で、一本々枯れ葉や外の皮を剥いて、丁寧に布で吹いてい荷造りしている。



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つまみ菜
大正時代に砂村で始まったものだが、江戸川で栽培されていた。
つまみ菜は「雪白体菜」で、葉が2〜3枚出たところで、包丁で土がつかないように刈っていく。
鮮度を重視するため、収穫から出荷まで短時間に行わなければならず、生産者の負担が大きく、今では栽培されなくなってしまった。



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セルリー栽培は、江戸川の伊藤仁太郎さんが栽培していた。

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技術を受け継いだ並木猛さんが現在、清瀬で栽培しているが、当時の様子が写されていた。




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亡くなられたが、等々力の大平博司さんは、無農薬栽培を行っていて、支援する地域の奥様方が、農作業の手伝いを行っていた。
大平さんは、現在奥様が「城南小松菜」のタネを守り継いでいる。




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ナレーションでは、「南多摩地区の干し大根」としているが、
東光寺大根だったか、高倉大根だったが忘れてしまった。
収穫から干し大根にいたる作業を撮っている。
現在、東光寺大根は奥住義則さん、高倉大根は立川太三郎さんとそれぞれ1軒になってしまった。




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町田市小山田でミツバ栽培をしている畑。

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秋の作業だが鍬で根ごと掘り起こしているが、この畑ではミツバの根株を育てています。




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小山田ミツバは切りミツバです。

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根株を栽培床に詰め込み、室を温かくすることで、12月になると新芽が収穫される。
生産者は大幅に減少したが栽培の復活が始まっている。


特徴的な野菜栽培を紹介してきましたが、畜産や花や植木、など多彩な東京の農業が紹介されています。
機会を見て、皆さんに鑑賞いただきたいと思っている。



posted by 大竹道茂 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 出版物・メディヤ等の紹介
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