武州豊島郡雑司ヶ谷村は江戸御府内に近く、雑司ヶ谷には鬼子母神があったことから江戸市民の信仰の場で、霊験著しく叶うとして日々賑わっていた。
境内では、野菜の苗物を売る市が立つなどしていて、近郷近在の農家が苗を買い求めていたことから、雑司ヶ谷の周辺では季節ごとに苗ものづくりも盛んだったようだ。
JA東京あおばの渡邉和嘉常務に伺うと、叔母さんが都電雑司ヶ谷駅前で、苗物を販売する店を出していたそうだが、
今日「雑司ヶ谷」の名で伝わっている野菜には、雑司ヶ谷で栽培されていたと云うより、雑司ヶ谷の苗物屋で購入してきたものだったケースも、珍しくはないようだ。
江戸東京野菜推進委員会の水口均さんの話では、千葉県富津の黒皮カボチャなどは、雑司ヶ谷で購入してきた「雑司ヶ谷カボチャ」と伝わっているようだ。
先日、雑司ヶ谷カボチャが実を結び、たくさん収穫ができたと紹介したが、採種の仕方を渡邉和嘉さんに教えていただいた。
雑司ヶ谷カボチャの畑はまだ青々としていて、雌花が所々に見えていたが、雄花に比べれば多くない。
上の画像をタツプする
蔓の先端に近いところに、雌花を見つけた、開花にはまだ2日〜3日早いかと思うが、実際は明日花が咲くまでに蕾が膨らんだところで、袋をかけておき、次に雄花を探す。
上の画像をタップする
雌花と同じように、雄花も明日咲くような蕾を選んで袋掛けを行い、翌日咲いたら雄花を切り取って直接雌花に花粉を付ける。
あえて、雄花も袋掛けをする理由を聞いたが、ミツバチが西洋カボチャなどの花粉を、雄花の花粉に混ぜることも考えられることから、花粉も守るのだという。
現在、渡邉さんは畜産に凝っていて、雑司ヶ谷カボチャの畑の脇に西洋ミツバチを飼っていた。
渡邉さんは、江戸東京野菜コンシェルジュ協会の活動でも協力してくれていて、なにかとアドバイスをいただいているが、
東京農業大学の近藤典生教授の育種学研究所を卒業しているので採種はうるさい。
昨年、江戸東京野菜推進委員会の水口均さんから預かった雑司ヶ谷カボチャのタネを手渡していたので、この度の収穫と採種に至ったもの。
固定種の時代の育種家として、練馬大根の「早太り練馬」、滝野川ゴボウの抽苔が遅くなる「渡辺早生ゴボウ」に、東京大越ウリから「泉大越ウリ」を作り出すなどの功績のある渡邉正好氏のご子息でもある。
正好翁がまだご健在であった2011年、97歳の時に都立園芸高校で江戸東京野菜の栽培に取り組む生徒たちを激励してもらったことがあり、その時もお世話になった。