2017年09月25日

新宿区立東戸山小学校の4年生が栽培している伝統小松菜の様子を見てきた。


24日(日)に、学習院女子大学で行われた「新宿とうがらしサミット」に出席した帰りに、東戸山小学校に向かった。

23日に、栽培指導をお願いしている梶谷正義先生が近くまで行ったとかで
コマツナの様子を見てきました。不織布が持ち上がる状態まで大きく成長していました。」とメールをいただいていたからだ。

当ブログでは、9月13日までの写真は、送っていただいていて掲載している。





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梶谷先生から
羽田野有紀栄養教諭と学年主任の生田淳子先生へのアドバイスは、

 これからは次のように世話をして下さい。
・不織布をとりはずして下さい。

もう、虫も少なくなってきましたので、
取り外して太陽の光を十分に浴びられるようにして下さい。
ただ、まだ残りの虫がいたずらをするかもしれませんし、
鳥が食べにくるかもしれませんので、
毎日の観察は怠りなく行って下さい。
もし、被害が大きく出るようでしたら、連絡をして下さい。
 
上の画像をタツプする
・間引きをして下さい。

株元と株元の間隔が3cmくらい開く様に間引いて下さい。
間引きの仕方は、残す株を傷めないように、
間引く株の株元をハサミで切り取ります。
間引き菜も美味しいですから味わって下さい。

・コマツナが育っている列と列の間(条間)に伸びている草は
早目に抜き取って下さい。

・コマツナを播かなかった校舎側の空き地にも
草が伸び出していますので、早目に草を取って下さい。

草の芽が小さいうちならば、
移植ゴテの脇を使って土を削るようにすれば、簡単に除草できます。

  
梶谷先生ありがとうございました。



この度は、都市農地活用支援センターが実施している
"「農」の機能発揮支援アドバイザー" として派遣されました、
ご活用ください。

追録
江戸の歴史を訪ねる


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学習院女子大から東戸山小に向かう途中、かつて尾張藩の巨大庭園にあった築山が箱根山(44.6m)として残っているのを知っていたので寄ってみた。

上の画像をタツプする。
放置されたかつての築山は、周りの木々が大きくなって森の中に埋もれていて、山の上から見下ろす景観は望めない。

しかし桜のシーズンには頂上を占拠してお花見をする輩も多いようで、注意書きが貼ってあった。。





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江戸の庭園で最大だったのが、尾張徳川家の下屋敷戸山荘で、13万6281坪だった。
内藤清成の下屋敷(現新宿御苑)も20万余坪だったが、広すぎて6割は小作に出していたというから庭園には該当しない。

箱根山の麓に掲示された寛政年間(1789−1802)の絵図は、北は左であるから、
新宿区立東戸山小学校(黄色丸)も、学習院女子大学(グリーン丸)も現在戸山荘の敷地内に建設されている。

この庭園、寛文9 (1669) 年から工事を始め天和、貞享の時代を経て元禄6(1693)年に27年を費やして完成した回遊式築山泉水庭だ。

上の画像をタップする
御泉水の水面だけでも2万坪もあったそうで、この池を掘った土は、積み上げられ築山の玉円峰(赤丸)だが、現在は箱根山と呼ばれている。

同荘は25景からできていて、数万株の松を植え、大きな滝を作り、西の一角にある御町屋(白丸)には、
鍛冶屋、薬屋、目薬屋、酒屋、料理屋、小間物屋、米屋、医師、茶屋、煙草屋、番屋、炭屋、薪屋、菓子屋、造花屋、筆屋、紙屋、弓屋、
扇屋、本屋等々、三十七軒の町屋が、それぞれの屋号をつけて建ちならんで、東海道の小田原宿を再現していたという。

北には鎌倉街道と川越街道も作られていて、戸山荘は実物大の箱庭だったようだ。

したがって維持管理は大変で、一時は荒廃し十一代将軍家斉が来遊したことを契機に復旧されたが、安政2(1855)年に安政の大地震があり、翌年は暴風雨にあい、さらに安政6(1859)年には安政の大火で戸山荘の建物が災害にあってからは復旧されなかった。


posted by 大竹道茂 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 小・中・高 食育の取組
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