現在45品目も復活されている江戸東京野菜には、一つひとつに物語がある。
ソシエテミクニの岡本孝一さんから、紹介したい方がいると云って、カゴメ株式会社商品開発をされている矢賀部隆史部長を紹介していただいた。
江戸東京野菜はなぜ栽培されなくなったのか、不味くてではなく、揃いが悪い固定種だからで、揃いの良い周年栽培が可能な、交配種の時代になってしまったからだ。
しかし、野菜本来の味があり、季節限定の旬のわかる江戸東京野菜は、東京のおもてなし食材だと云うことで、東京の地産地消を推進されている、三國清三シェフのお口添えがあったからのようだ。
せっかくの機会を作っていただいたので、江戸東京野菜の情報をお伝えしたが、
お忙しい中、錦糸町テルミナで実施されていた、「江戸東京野菜×TERMINAフェア」を見に行かれ、料理を食べてこられたと、メールをいただき、
NHKのひるまえホットも録画をして観たと、ご報告をいただいた。
矢賀部部長に、栽培現場を見ていただけますかと、ご案内すると、
通販事業部の吉田知史部長と一緒に昭島まで来ていただいた。
ご案内したのは、立川市西砂の石川公一さん、後継者の智一さんの、内藤カボチャの栽培現場。
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江戸東京野菜の内藤カボチャを栽培している生産者の中でも、うどんこ病にかからず、まだ花が咲いている状態だった。
江戸東京野菜の、滝野川ゴボウを栽培する、小平市の岸野昌さんの畑も・・・
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岸野さんのお宅は280年の歴史があり、その歴史と共に岸野家に伝わる「土垂」(どだれ) 里芋の一種だが、台風の影響をまともに受けたが、収穫を待っていた。