新宿御苑をメイン会場にして開催されている「新宿内藤とうがらしフェア」、
その開催に先立ち30日、関係者交流会が新宿御苑レストランゆりの木で、フェア関係者を60余名を集めて行われた。
新宿御苑は、信濃國高遠藩藩主内藤家の下屋敷で、現在も新宿御苑東の内藤町にお住いの、内藤家17代当主の内藤頼誼先生が、お元気な姿を見せていただいた。
内藤先生に初めてお会いしたのは2014年の関係者交流会で、殿様の話には内藤とうがらし、内藤カボチャが栽培されていた屋敷内の話など、初めて伺ったことは当ブログでも紹介している。
今年も交流会には大勢の皆さんが参加された。
来賓としては、内藤先生を始め、新宿区長(代理)、国民公園協会新宿御苑の宍戸博支部長、一般社団法人新宿観光振興協会の恩田佳栄さんがご挨拶をされた。
江戸東京・伝統野菜研究会も協力組織としてご指名をいただき、ご挨拶をさせていただいた。
開会に当たって、新宿内藤とうがらしフェア実行委員会のNPOおいしい水大使館の成田重行理事長から開催の趣旨について報告をされた後、17代当主の内藤先生のご挨拶を伺った。
元朝日新聞記者でアメリカ総局長の要職を務めたジャーナリスト。
毎年先生の話を楽しみにしているが、今回は・・・・
「先祖の内藤清成は天正八(1590)年、家康を護衛する鉄砲隊を率いて先陣を務めた。
その功績により、馬で一走り回ってきたらその土地を屋敷に与えると云われ、
白い愛馬に跨って、四谷から、大久保、代々木、千駄ヶ谷を、一気に回ってきたのが、現在の新宿御苑をさらに広くした20万坪で、屋敷地として拝領しました。」と云う。
「慶長八(1603)年、徳川幕府の世になると、幕府によって各藩に屋敷地が与えられたが、内藤家の土地は家康から直接与えられたものであったことから、幕府は手を付けられなかったようです。」と・・・。
61万9千石の尾張徳川家の下屋敷戸山荘(新宿区戸山)は江戸最大の庭園で、13万6281坪だったことから考えると。
「内藤家は、石高3万3千石の大名であったから、身分不相応の屋敷地(四谷荘)でした。」
しかし、甲州街道の第一の宿場が高井戸だっために遠すぎたことから、
「新しい宿場を作ることになり屋敷の3分の1を幕府に差し出し、内藤の新しい宿場として、内藤新宿が出来ました。」と話された。
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内藤とうがらしの入ったノンアルコールのカクテル「金魚」で乾杯!!
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内藤とうがらし紅白おむすび
内藤とうがらしと八王子ショウガをむすびにした。
香の物としては、
内藤とうがらしの甘酢漬け
内藤とうがらしの佃煮
八王子しょうがの甘酢漬け
交流会は、生産者会議に引き続き開催されたことから、生産者を始めとする関係者の皆さんを、成田理事長が一人ひとりを紹介し、各自自席で挨拶をされた。
その後、和やかな懇談が続いた。
サプライズとして、浅草雑芸団のリーダー上島敏昭さんが登場。
上島さんは、今年浅草木馬亭で「もの売り・大道芸☆東京野菜ものがたり2017」を上演したことは当ブログで紹介している。
今回は、成田理事長から内藤とうがらしのラップを依頼されたと前置きして。
内藤家の家臣だったと云う団員の三上敏視さんの太鼓で「八木節」で内藤とうがらしを歌い始めた。
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生産者リーダーの宮寺さんは、皆さんと
内藤先生、宍戸支部長(写真左上)
学習院女子大学の品川明教授と伊藤総料理長(写真右下)
追録

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当日は新しい商品 内藤とうがらし「新宿ご当地七味」が配られた。