8月のはじめ、大阪府農業委員会大会の記念講演を受けたことを、「田辺大根ふやしたろう会」の谷福江世話人にお伝えした。
谷さんには、難波ねぎの比較栽培にお骨折りをいただいていたからで、折角大阪に伺うなら、翌日は種をいただいた、難波ねぎの生産者上田隆祥さんにお礼も言いたいし、畑も見せていただきたいと、ご無理なお願をしていた。
江戸の昔、砂村に入植した摂津の農民がねぎ栽培を始めたと云われていて、現在、砂村一本ねぎを栽培していることから、そのルーツを探していたもので、谷世話人から、難波ねぎがあることを伺ったのだ。
大会翌日の9時、上田さんにホテルまで迎えに来ていただいて、ホテルからは南へ、住吉区大領の畑にご案内をいただいた、
周辺を住宅やビルに囲まれた、10アールの典型的な都市農業。
畑には、難波葱の会の難波りんご事務局長はすでに見えていた。
上田さんは、小雨も降っていたので足元が汚れるからと、お気遣いをいただきレジ袋を用意されていた。
長袴で歩いているようだとの声、(笑)
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谷世話人は、昨日講師控室を訪ねていただいた皆さんにもお声をかけていて、写真左上、左から日本の伝統食を考える会の浅岡元子さん、生田喜代子さん、上田さん、中筋恵子さん、谷世話人。
写真右下、右から難波りんご事務局長、熱塾の原田彰子代表。
難波ねぎは、かつて京都に伝わり九条ねぎとなった歴史がある。
葉が柔らかく、香りがよく、葉の中にはトロっとした美味しいぬめりをたっぷりと含んでいて、
60センチほどに育つやや太めの美味しい葉ねぎだが、市場からは姿を消した。
今日の生産や流通の中では、葉が折れやすく、ぬめりが多いことから刻みネギには向かず、葉が折れない栽培しやすい交配種の時代になってしまった。
上田さんは、市場用に交配種を作りながら、自家用に難波ねぎを作り続けていた。
なにわの伝統野菜の復活に尽力していた石橋明吉氏が、難波の大阪木津地方卸売市場で漬物屋 (有)石橋商店を営んでいたので、10数年前、美味しいねぎを作っていることを伝えると、ある日通りかかったのでこのねぎはおいしいでっせと、差し上げた。
「まあ、なんと 美味しいねぎや!」と、石橋氏に喜んでもらえたという。
石橋氏から、なにわの伝統野菜の普及に取り組む人々に伝わっていった。
難波りんごさん(天王寺蕪の会事務局長)との出会いは大きな転機を生んだ。
上田さんは難波さんらと「難波葱の会」を立ち上げた。難波さんの幅広い人脈を生かして、料理人や作家、消費者、農家が加わり「難波ねぎ」の味を広めていった。
今日では、大手の百貨店が扱ってくれるようになったのを始め、難波駅のそば店では難波ねぎを使ったそばが販売されるまでなり、生産者も増えている。
明確な根拠文献を探すのに時間がかかり、2017年4月に難波ねぎは「なにわの伝統野菜」に加えられた。
見るからに柔らかそうな難波ネギが育っていた。
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上田さんは、今年の天候異変で、栽培にはご苦労をされていた。
関東の根深ねぎは、葉の部分をカットして出荷されるが、関西の葉ねぎは、葉が命。
葉の柔らかい難波ねぎ、ネギハモグリバエの食害を見せてもらった。
この食害、加熱して食べるときには目立たないが、出荷の段階では気になる。
難波ねぎは、一本ねぎとは違い分けつ性のねぎだが、まだ細い段階で、1枚葉を剥くと中で分けつしていた。
こうなると細くて、販売は難しいとか、
先に定植した難波ねぎの1群では、連日の雨もあり自重で倒伏していて、新たに葉が伸びているもの見えた。
このねぎ6月始めに播種して、8月に定植したもの。
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上田さんが抜いて見せてくれたが、
一方に倒伏するのではなく、葉か柔らかい分絡まっていて、こうなると葉が命の難波ねぎは、出荷が出来ない状態。
こんなことはこれまで、あまりなかったようだ。
葉が柔らかくて美味しいねぎだけに、難しい栽培の中、代々守ってきた上田さんのご苦労を実感した。
支援している消費者も、このようなねぎでも買って食べることでの支援を継続していくことが重要だ。
水菜も栽培されていた。
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柔らかそうな水菜も栽培され、皆さんへのお土産に抜いてくれた。
タキイ交配の「耐病ひかり蕪」を抜いて見せてくれた。
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写真上左、耐病ひかりの先に、なにわの伝統野菜「天王寺蕪」が育っていたが、上田さんは耐病性ひかりより天王寺蕪の方が美味しいから葉の食害が多いと、説明してくれた。
写真上右、天王寺蕪
宝暦6年(1756)、信州野沢村の住職が修行先の大坂から天王寺蕪の種を持ち帰り寺の畑で栽培したのが、野沢菜の起源とされていて、昨年記念碑が建立されている。
写真下、上田さんは天王寺蕪の中から葉柄が野沢菜のように長いものを抜いて見せてくれた。
葉柄が立派に育っている天王寺蕪の根部は、野沢菜のように三角錐の形をしていて、カブが大きくならないという。
固定種は揃いが悪いわけで、このようなものから間引いていくが、これからも天王寺蕪が、野沢菜になったことが理解できる。
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皆さんは、上田農園には何度も来ているようで、上田さんは皆さんに難波ねぎの状況を説明されていた。