大阪府農業委員会大会後に、講師控室に、大阪なにわの伝統野菜にかかわる方々に訪ねていただいたが、京都からわざわざ久保功先生にもお越しいただいた。
なにわの伝統野菜研究会・毛馬きゅうりの会の清原風早子代表が、大竹が来るとお伝えいただいたようで・・・、恐縮です。
講師控室左から、清原風早子代表と、久保功先生(野菜文化史研究センター代表)
久保先生とは、2009年に山形大学から講師として招かれて以来、親しくさせていただいている。
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先生と私の記事が掲載された2011年の「伝統食だより」を持参していただいた。
京都からわざわざ訪ねていただいたので、会場近くにとったホテルアウィーナ大阪の喫茶で、清原さんにもお付き合いいただいて、お話を伺う機会が出来た。
上の画像をタップすると檜原村の白岩ウリ
野菜の文化史を研究されている久保先生のお話は、1300年前の野菜が、長屋王御墓から出土した二条大路野菜木簡に、キュウリは今のように若採りせずに、タネが熟して色が黄色く変わり大きくなってから食べていた、との話をお聞きした。
興味深いお話しだった。
実は今年、西多摩郡檜原村で栽培されていた白岩ウリは、落人伝説のある地区で生まれた86歳のおばあさんが栽培しているが、子どもの頃、食べごろのキュウリを採ると「祖父から、まだ早い、もう少し大きくしてから採りなさいと、よくしかられた」という話と符合する。
先生は、後日資料を送るからと云っていただいた。
清原代表からは、なにわ伝統野菜の発掘に貢献なされた石橋明吉先生の資料をいただいた。
阿倍王子神社には、平成17年天王寺蕪の碑が建立されているが、「天王寺蕪の会代表猿田博識」とある碑文を、石橋先生が墨痕鮮やかに揮毫したと資料にある。
石橋先生は、今年の2月にお亡くなりになられたと伺ったが、「東京の大竹に会いたい」とおっしゃっていたと伺い、改めて伝統野菜は時間との戦いだと云うことを実感した。石橋先生のご冥福をお祈りいたします。