江戸の食として、江戸東京野菜とともに、江戸の近海でとれる海産物があり、それらは「江戸前」と呼ばれた。
江戸前の海は、江戸に限られたものではなく、横浜周辺の海も江戸前と呼ばれる豊かな漁場でした。
企画展「江戸へ魚を送れ! 」 ―漁場としての横浜周辺の海―、が、横浜みなと博物館で開催されていたので、出かけた。
この企画展では、横浜の漁場を江戸前の食文化、ウオーターフロント開発と問わらせながら紹介している。
横浜みなと博物館は、JR根岸線の桜木町駅とみなとみらい線のみなとみらい駅の中間にあたるが、横浜の知り合いに案内してもらった。
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神奈川には幾つもの漁港があるが、本牧漁港、小柴漁港、横須賀東部漁港は、東京湾内に面していているが、
松輪漁港、長井漁港、平塚漁港、小田原漁港は、相模湾に面している。
「鎌倉の波に」は、黒潮流れる相模湾で獲れた「鰹」を意味し、「早稲田の付け合わせ」は、早稲田みょうがを妻にして食べると云うもの。
横浜中央卸売市場発「かながわの魚が食べたい」の資料が配布されていた。

横浜みなと博物館の前には「帆船日本丸」が碇を下ろしていた。
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帆船日本丸は、国指定重要文化財で、1930(昭和5)年に建造された。
船員(船舶職員)を養成する練習帆船で、1984(昭和59)年に引退するまでの54年間に、11500名もの実習生を育てたが、その間、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、帆を広げた美しい姿は、「太平洋の白鳥」と呼ばれていた。と資料にある。
1984(昭和59)年に横浜市に誘致され、翌年から一般公開されているようだが、
現在、ボランティアの協力で、全ての帆を広げる総帆展帆を年間約12回実施するほか、青少年向けに海洋教室を開催していると云う。
ハマの老舗「牛鍋処 荒井屋 万國橋店」に伺ったが、間宮純支配人が迎えてくれた。
荒井屋には何年が前に「すきや連」で伺っているが、その後、女将の荒井順子さんに「すきや連」でお会いするたびに、「また伺います」とは言っていたが、なかなか伺う機会がなかった。
みなとみらい線の馬車道駅の近くにも、支店があるようなので万國橋店に予約を入れた。
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暖簾をくぐって玄関までは、格子になっていて、差し込む光が食への期待を膨らませてくれる。
ゆっくりと食事をしたいと思っていたので、コース料理を予約していた。
牛鍋は、笑顔が素敵なお姉さん(柿沼さん)にお任せしたが、食べるのに夢中になっていて、牛鍋の煮えたところの写真を撮るのを忘れていた。(お恥ずかしい!)
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ご飯は、うどんもあると云うので、牛鍋の残り汁を絡めてもらった。
ゆっくりとした時間、牛鍋を堪能したが、知り合いも喜んでくれた。