江戸ソバリエ協会のほしひかる理事長は、フードボイスが毎月学士会館で開催している経営者情報交流会で「蕎麦は江戸を盛美とする」のタイトルで講演をされた。
ほし理事長とは、フードボイスを通して知り合ったもので、現在、元麻布の更科堀井で四季ごとに「更科蕎麦と江戸野菜を味わう」を実施しているし、豊島区で「としまで学ぶ江戸野菜」は、先日報告している。
江戸ソバリエ認定講座の講師もさせていただいている。
これまで、ほし理事長のそばの話は伺っているが、改めてブログで紹介する
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フードボイスの新田真一社長からは、お正月の動画で、ほし理事長と一緒に「蕎麦と江戸東京野菜」をテーマにして対談を撮りたいと、お話しをいただいている。
蕎麦は食物としてだけでなく、江戸において商品としてのメニューが整った。
麦は1万年前にメソポタミヤで栽培されていた。
ジャポニカ米は、中国揚子江の周辺で8千年前から栽培され、蕎麦は中国四川、雲南で5千年前からとの記録が残っている。
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四川・雲南から江戸へは、信州大学の氏原教授の研究によると、四川・雲南から中国北方へ、そして朝鮮半島から対馬に渡り、九州北部から本州に伝わった。
麺は室町時代から、食べられてきたが、足利時代の1438年蕎麦が初めて出てきた。
1574年3月16日には蕎麦切が足利15代将軍の時に記録がある。
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蕎麦は寺方で食べられていたが、1700年代になって町方で食べられるようになった。
五代将軍綱吉の時代に長寿庵(1706年)で食べられていた記録がある。
八代将軍吉宗の時代に雑司ヶ谷蕎麦の藪蕎麦が生まれている。
お世話になっている更科蕎麦は、11代将軍の家斉の時代だと云う。
その頃、かけそばや割りばしが生まれている。
江戸蕎麦の特徴は、蕎麦粉とつなぎが、二八の割合で、蕎麦粉をきめ細かくするために篩にかけている。
打ち方は厚さ、長さ、細さなど均等に打つなどである。。
江戸蕎麦のメニューは江戸の頃に生まれているが、「天ざる」は日本橋室町の「砂場」が昭和に開発していると云う。
興味深いお話を伺った。