2017年12月03日

テレビマンユニオンが、江戸東京野菜を取材したいと、長いダイコンと短いニンジンの生産者に会ってきた。


テレビマンユニオンの細村舞衣ディレクターから電話をもらった。

「江戸東京野菜の食材に秘められた人類の食に関わる文化の歴史。あるいは食材が生み出されるための手間とヒマ。
そして、食べる側から言えば、ひとつの食材を手に入れるための喜びの総体。

そうした「食材」の中に流れる時間を語り映像化したい」と・・・・・

これまでも電話での依頼はお手伝いはしていないが、テレビマンユニオンとは何度も一緒に仕事をしているので、お会いして打ち合わせをさせてもらった。

提案されたのは、練馬ダイコンと馬込大太三寸ニンジンで、紅白の対比も綺麗な江戸東京野菜だ。




2-1.JPG

西馬込駅で、9時半に待ち合わせをして、細村さんの他、鴨下満さんと、二階堂茜さん。
撮影素材として、平成8年にJA大森が建立した、記念碑を紹介。

第二京浜沿いの「大田区立ライフコミュニティー西馬込」の敷地内に設置されていて、碑の裏には、馬込半白胡瓜と、馬込大太三寸人参の由緒が記されている。

平成8年、建立祝賀会に招かれた当時の写真が残っていた。

上の画像をタップする
馬込大太三寸人参の由緒

古来、馬込の周辺では、砂村三寸と川崎三寸(西洋種)が栽培されていたが西馬込の篤農家河原清吉らにより、砂村三寸と川崎三寸を交配して、それぞれの長所を受け継いだ、大形で形・色のよい人参に改良され固定された。
 昭和25年、大森東部農協(組合長 高橋正夫氏)が「馬込大太三寸人参」の名称で農林省に種苗登録し以後、馬込の特産品となった。
 農協では農家が採種した種子を買い上げ、宮内庁の三里塚牧場をはじめ、全国に販売した。また、この時期を境に人参栽培は急速に普及した。
馬込で人参栽培が盛んであったのは、昭和38年頃までで、農地の宅地化とともに除々に減少した。      
大田区のご好意により建立 平成8年3月吉日 JA東京大森





3-1.JPG

馬込三寸人参と云うと、波田野年成さんが有名だったが、先年お亡くなりになった。

記念碑の脇を曲がって東海道線の上を渡ってすぐ行ったところの畑で野菜を作っている波田野惇さんを訪ねた。

上の画像をタップする
今年の東京都農業祭に馬込大太三寸ニンジンを出品いただいたのが惇さんだった。

無造作に抜いた
惇さんが無造作に抜いた馬込大太三寸ニンジンは、立派な形状をしていた。





4-1.JPG

波田野さんの畑には、小松菜、春菊、青首大根、ネギなどが栽培されていたが、

上の画像をタップする。
今年の7月、8月の天候不順や、台風の影響が出ていた。





5-1.JPG

惇さんが、西馬込駅近くの「御菓子司わたなべ03−3772−5082」で、「馬込三寸にんじんまんじゅう」を販売していることを教えてもらったが、かつて当ブログで紹介していた。

店主の渡辺さんは江戸東京野菜についても詳しく「45品目」もあるとご存じだった。

上の画像をタツプする。
昔頂いていたが、改めて一つ頂いた。ニンジンの香りがして美味しかった。




10-1-2.JPG

練馬ダイコンと云うと、練馬の渡戸章さんで、抜いてみたらと、細村さん、鴨下さん、二階堂さんに勧めたら、鴨下さんが抜いた。さすが男子。

上の画像をタップする
渡戸さんの屋敷内では、沢庵用に大根が干してあった。
コカブも抜いて洗っていた。

12月3日に、大泉地区で開催される第11回練馬大根引っこ抜き競技大会も取材する予定だ。

撮影素材もいろいろ紹介したが、どんな番組になるのか楽しみだ。

posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック