2018年02月07日

2017年度 第6回 伝統野菜プロジェクトセミナーは、熊澤代表の「土佐によみがえる牧野野菜」


昨年の暮れに、伝統野菜プロジェクトの草間壽子先生から、「牧野野菜のリーフレット」が届いた。
高知出身の植物学者・牧野富太郎博士の名前を冠した「牧野野菜」を栽培している “Team Makino” の熊澤秀治代表が、<2017年度 第6回 伝統野菜プロジェクトセミナー>で、講演をされると云う。

熊澤代表には、5年前にお会いしていて、東京での再会を約束していた。
熊澤さんも何度も東京に来ていたようだが、お忙しかったようで、今回講演をされることが分かったことから、再会を楽しみにセミナーに出かけた。





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潮江地区とはどのようなところか、熊澤さんのハウスを、当ブログで紹介しているが、納得の地名だ。

上の画像をタップする
セミナーは草間先生のご挨拶で始まった。


高知市の潮江地区だけで栽培されていた潮江菜を持ってきての、熊澤さんの話に皆さん引き込まれた。

“Team Makino”が結成されたことは、当ブログでも紹介している。





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潮江菜を探し始めるきっかけは?
昭和54年から1年間高知新聞に連載された宮尾登美子のエッセー。
後に「つむぎの糸」として出版されました。

この中に「土佐の雑煮」と書う−文があり、土佐の雑煮は角もち、青菜、里芋、すまし仕立てとある。
そして、青菜は「ウシオエカブJでなければならないと書かれています。

土佐藩を収めた山内家の影響で高知平野から香長平野にかけての地域で、現在の土佐雑煮のスタイルが確立したと思われます。

牧野富太郎博士の書簡(昭和28年12月24日消印)
潮江菜とウシオエカブが同−のものかどうか?

しばらくの間謎でしたが、この書簡によってウシオエカブという呼び方が方言であるとわかりました。

江戸の雑煮は、焼いた角餅にすまし汁、鰹の出汁で、青菜として小松菜(葛西菜)が入っているシンプルなもので、土佐の雑煮と似ている。

板垣退助が、潮江蕪が好きだったと云う資料をパワーポイントで紹介。
「板垣伯は川崎の別荘へ度々お出でになりましたが、大變潮江蕪がお好きのやうでありました。」

従一位勲一等伯爵板垣退助之墓は、品川カブの農業説明板がある品川神社にあることを、熊澤さんにお伝えした。
当ブログの「追録」で紹介している。





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土佐の伝統作物

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もち菜(牧野野菜)と、大道の昔高菜

もち菜

「正月菜」とも呼ばれる。草丈は30〜60cmとやや大型で、葉に切れ込みがなく葉柄はやや太い。
土佐山内家が愛知県尾張地方から持ち込んだとされ、愛知県の伝統作物にも「もち菜」がある。【牧野野菜】





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入河内大根を持った、左から東北ダイコン風土誌の佐々木寿先生(東北大学農学部講師)、江頭宏昌教授(山形在来作物研究会会長・山形大学教授)

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首の部分の皮が赤紫色で、通常4〜5kg、大きいものでは10kgを超える。きめが細かく辛みが少ない。首の赤い部分は梨のように甘い。
また、スが入りにくく、煮くずれしにくいため、煮物に最適である。





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山内家伝来大根

菓は羽状に欠刻し、黄緑色。根はやや短く湾曲した先流れで、白色。
土佐山内家が愛知県尾張地方から持ち込んだとされ、愛知県の伝統作物「方領大根」に似る。【牧野野菜】

佐々木先生もおっしゃっておられたが、藩主ゆかりの野菜は各地にあるが、書物などに記録が残っていて、素性が分かる。そしてその地の気候風土の中で伝えられてきている。

また、昔婆さんが嫁に来た時に郷から持ってきたと云うのも各地に残っているとも話されていた。

おっしゃる通り東京では、将軍とかかわっている江戸東京野菜が伝わっているし、おいねのつる芋はおイネさんが山梨の都留から持ってきたジャガイモだ。






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焼畑のかぶ
牧野野菜には4種類のカブがあるが、その一つ。

数十年前、高知県仁淀川町で昔の焼畑を再現しようと山を焼いたところ、生えてきた。
アブラナ科の種子は強いので復活をとげた、「焼畑のカブ」として保存されている。
紫色を帯びた細い茎といい、放漫に肥大したカブといい、じつにユニークなカブだ。





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潮江菜が京菜、水菜の原種と云われることから展示、食べ比べに活用された。

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今日の伝統野菜と茨城県産の水菜






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ハチマキ(大豆)、
中粒・扁平。・茶褐色に白い筋模様が入ることから‘ハチマキ’と呼ばれる。
香美市物部町で採取したとの記録があり、「陰陽師が京より持ち帰った」と伝わる。【牧野野菜】

土佐在来インゲン(白・紫)、
種皮は白色と紫色の2種類あり)、どちらも短卵形。大豊町の豊楽寺に伝わったとされる。【牧野野菜】

朝鮮豆、
種皮は濃紫色で、長卵形。花は濃いピンク色。江戸時代から栽培されていたと伝わる。【牧野野菜】

八升豆、
「ムクナ豆」の一種。 草勢は旺盛で繁茂する。花は濃紫色で総状。 大粒・扁平で、種皮は白地に灰色の斑紋がある。土佐清水市で採取したとの記録があり、江戸時代末期に絶滅したとされていた。【牧野野菜】

追伸

何か熊澤さんに質問はないかと、草間先生にマイクを渡された。

遠慮をしていたが、熊澤代表との再会を感謝した後、竹田先生は東大駒場農場から持って帰った種もあるようだが・・・・・、

葛西菜があるとの話が紹介された。
何年もたっていたので忘れていたが、当ブログでも葛西菜を紹介していた。

葛西菜は、八代将軍吉宗に「小松菜」と名付けられる以前の名と云われている。

“Team Makino”は、商品化の模索、学校連携・食育活動、伝統作物セミナー・商談会等、多様な事業を実施しているが、その中に「里帰りプロジェクト」がある。

更新した種子を採集地とされる地域に帰す活動として、2016年6月3日に、八升豆を土佐清水へ、
同年7月5日には、大豆「ハチマキ」を香美市大栃神地へ・・・・

熊澤代表からは、この事業として里帰りさせたいと云っていただいている。

「土佐によみがえる牧野野菜」食べ比べと試食はここから





posted by 大竹道茂 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 野菜と文化のフォーラム
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