2018年02月19日

練馬金子ゴールデンビールの醸造元の石川酒造で酒粕を買ってきた。


井之口農園にお願いして、野趣あふれる焼ネギパーティーを畑で行うことになったが、
連日寒さが続いていたので、畑で甘酒を飲むのもいいだろうと、酒粕を買いに近くの石川酒造に行ってきた。

石川酒造は、練馬金子ゴールデンビールを醸造している酒蔵で、明治時代にはビールの醸造をしていて、当時の釜を ”麦酒釜の館” で保存している。





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江戸末期の文久3年(1863)に「八重桜」のブランドで酒造りを始めた同社は、昭和8年(1933)現在の多満自慢のブランドになった。

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長屋門から屋敷は、国民的財産として文化庁の登録有形文化財に指定されていて、屋敷内には玉川上水の熊川分水が流れているが、「多満自慢」「多摩の恵」の仕込み水は地下天然水を使っている。





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練馬の金子丑五郎翁が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から日本初のビール麦「金子ゴールデン」を育成した。

このことは、江戸東京の農業説明板を、平成9年に練馬区豊玉南の氷川神社に建立した。

JA東京あおばでは、平成18年(2006)金子ゴールデン記念碑建立実行委員会を設置して、農業説明板の横に記念碑を建立したが、その記念式典で参加者に金子ゴールデンで醸造したビールを振舞った。

その後、JA東京あおばでは、飲みたいと云う区民の需要を受けて、地元東京の酒蔵でビール「多摩の恵」を醸造している石川酒造に醸造を依頼した。

練馬金子ゴールデンビールはJA東京あおばの各直売所のみで販売している。

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明治20年(1887)には、ビール麦のゴールデンメロン(米国)が輸入されていて、石川酒造では、いち早く "日本麦酒” の商標でビールの醸造を開始している。

当時、出荷先は、地元福生を始め、横浜、川越、深川、浅草、赤坂、田町、馬喰町、牛込と広範囲だったが、
明治20年代には、雨後の筍のようにビール会社が150社を超え、ビールの普及には時期尚早だったようで、3年で醸造は中止したと云う。

保存してきたビール釜を、百年目に当たる1987年 石川酒造がビールの黎明期に醸造をした歴史の証として ”麦酒釜の館”を建設し、1998年から「多摩の恵」を販売している。





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「多摩の恵」の他、明治期に発売した復刻ビールなどを販売している。

今回は、多満自慢と酒粕を購入してきた。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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