「第19回 福分けまつり」が、3月11日(土)亀戸香取神社境内で開催された。
福分けまつりに先立ち、10時から地元亀戸地区の小中学校・幼稚園が参加して収穫祭が執り行われた。
子どもたちが参加すると云うので、保護者の皆さんも会場に集まり、年々賑やかになっている。
今年は、氷点下が続くなど栽培環境は厳しい日が続いて、プロの農業者でも難しい中で、良くできていた。
主催者の地元商店街「かめの会」の皆さんは、早くから亀戸大根を、皆さんに配れるように紐付け作業をし、福分けみそ汁づくりには、亀戸勝運商店街の味噌屋丸定の女将や、喜連川さんの奥さんなどが味噌汁づくりに、大根を刻んでいた。
右から、資料を送ってくれた喜連川覚さん(発酵文化応援団店主)と、先日第二亀戸小学校の授業にお立合いいただいた福地憲一会長にご挨拶。
江東区立第二亀戸小学校は、2011年に開校百周年と幼稚園が開園40周年記念として作った宝船を持ち込んでいて、収穫した亀戸大根を乗せたが、形も良いし良くできている。
安田照雄校長にお会いしたので、ご挨拶をしたが、今回は事前の勉強をしているので、地元のお祭りに興味を持って参加した生徒は、昨年の倍の人数になったそうだ。
お話をさせていただいた者としては嬉しい限りだ。
たくさん栽培した中から選んで、奉書で包んだ学校もあった。
小さい大根はビニール袋に入れて納めた学校もあった。
第一亀戸小学校、第一亀戸幼稚園、第二亀戸小学校、第二亀戸幼稚園、香取小学校、水神小学校、第三亀戸中学校、
そしてJR亀戸駅と、亀戸駅ビル「アトレ」からも奉納された。
香取邦彦宮司の祝詞奏上、
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玉串奉奠は、福地会長の次にご指名をいただいた。
安田校長は、参加した小中学校・幼稚園を代表して玉串奉奠。
福地会長から、二番手に挨拶を依頼されていたので、亀戸大根の名前の謂れや、タネを通して亀戸大根の命が今日まで伝わっていることなどをお話しした。
安田校長のご挨拶の後は、地元選出の国会議員、都会議員、区会議員が続いた。
今年も都立江東商業高等学校の生徒が巫女さんとして協力してくれた。
収穫祭が終わると、引き続き福分けまつりがスタート。
大根に行列が出来たが、大根は300本と云うことで、行列の途中で終わってしまった。
収穫祭の1時間の式典を我慢した生徒たちは、スタッフの誘導で、亀戸大根の味噌汁と、割烹升本の亀戸大根饅頭「福分」がもらえる列に優先的に並ばせた。
収穫祭には、今年も江東区立第五砂町小学校の銭元真規江栄養教諭もお見えになっていた。
行列は、参道の先にある鳥居のあたりから並んでいた。
今年から江東区立香取小学校吹奏楽部の演奏が行われた。
懐かしのベーゴマ大会も行われた。
私の中高時代の親友だった神田澄夫さんが、昨年亡くなられた。
晩年は柴又に住んでおられて、近くまで行っていながらお会いする機会を逸していた。
その後、当ブログを見てくれていた妹の亀島由美子さんが、福分けまつりを知り訪ねてくれた。
由美ちゃんが小学生の時に会って以来の再会だ。
長禄年間(1457〜1460)の香取神社の地は、「亀島」と呼ばれていたと云う。
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そんなことで、香取宮司に亀島さんを紹介した。
かつて第二亀戸小のPTA会長をされた有馬大助さん(有馬建設社長)が、スタッフとして亀戸大根饅頭「福分」を持ってきてくれたので、緋毛氈の床机に座っていただいたが、帰りに亀戸升本すずしろ庵の勝運稲荷を見てくれと云う。
何でも、亀戸勝運稲荷を構築したのは有馬社長だと云う。
頂いた亀戸大根は、サラダや尻尾のほうは千切り、葉の部分も少し入れて浅漬けにして、残った葉は湯がいて、蕪と一緒に炒め煮して全部、福を分けて頂きました。
有り難う御座いました。