筍のシーズンになったが、品川区では品川歴史館が、筍の企画展をやっていると云うので、出かけた>
が、歴史館へのアクセスは、京急の立会川駅で下車したが、そこが土佐藩の坂本龍馬ゆかりの地であったことを知った。
時間的に余裕があったので、いつも情報をもらっている、高知の石川清彦さんや友人たちに土佐の情報を伝えようと、歩いてみた。
立会川駅近くの品川区立浜川中学(東大井3丁目)の地に土佐藩山内家下屋敷跡の説明板が建っている。
立会川沿いに、土佐藩山内家の下屋敷1万6千8百余坪と抱(かかえ)屋敷(869坪)は東海道往還を挟んで東西に位置し、抱屋敷は河口に位置していた。
ともに万治元年(1658)に拝領、囲込みによって取得したもので、表道通りで結ばれていた。
他には、砂村(江東区北砂一丁目付近)にも下屋敷があった。
中屋敷は木挽町築地(現・中央区築地)にあり、現在の中央区役所となっていて、坂本龍馬が江戸で剣術修行をしていた間、この中屋敷(築地屋敷)の長屋に住んでいたと云われている。
因みに、上屋敷跡地には現在・東京フォーラムが建設されている。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」
「上喜撰(じょうきせん)」とは宇治の高級茶のことで、高級茶を4杯飲んで眠れなくなったということと、ペリーの蒸気船(黒船)がたった4隻でやってきただけで慌てふためいている幕府を皮肉ったもの。
立会川の抱屋敷には嘉永6年(1853)に、浜川砲台が作られた。
この浜川砲台に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ二十歳の坂本龍馬がいた。とある。