道頓堀のすき焼き「はり重」で開催されたすきや連の第29回例会は、美味しいすき焼きをいただき盛会だったが、東京から来たメンバーが日帰りをすると云うので8時45分にお開きになった。
体力的に日帰りはつらいので、日本橋に泊まって翌日は、なにわの伝統野菜に縁のある所を一人で歩いた。
上田隆祥さんが、皆さんに見せようと天王寺蕪を栽培して見せてくれたので、四天王寺に建立された「野沢菜原種 旅の起点」と、阿倍王子神社の「天王寺蕪の碑」を訪ねてみようと、天王寺蕪の会事務局長の難波りんごさんに、下車駅をお聞きしてメモった。
昼過ぎののぞみで帰ろうと、9時過ぎにホテルを出た。
「野沢菜原種 旅の起点」の碑は、四天王寺に建立されていて、「四天王寺前夕陽ケ丘」下車だとメモしてあった。
なんば駅のロッカーに荷物を預けて、スマホの「乗換案内ジョルダン」で、なんば発 四天王寺前夕陽ケ丘着で検索すると谷町九丁目乗り換えと出た。便利だ
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「ようこそ四天王寺参道へ」の幟が道案内。
和菓子店の先に「なにわ伝統野菜 四天王寺 西むら 浪速漬」があった。
ちょっとのぞいたが、開店前の準備に忙しそうにしていたので、帰りに寄りますからと店長に伝えて四天王寺へ・・・・
そんなことを、りんごさんに報告しようと、スマホを取り出したら、りんごさんからショートメールで、夕陽が丘駅 C出口から、参道に「なにわの伝統野菜専門の漬物屋さん「四天王寺西むら」があります。10時開店です。とあった。
りんごさんと上田さんは、向笠千恵子先生を案内して泉州「水なす」を栽培している北野忠清さんを訪ねているが、気に掛けていてくれたのだ。
「野沢菜原種 旅の起点」の碑は、仁王門の回廊右手に建立されていた。
遠く南に、あべのハルカスが見える。
昨日、りんごさんが説明してくれたが、宝暦6年(1756)、長野県の野沢温泉村の健命寺の晃天園瑞住職が京都遊学の際に四天王寺から持ち帰った天王寺蕪の種を寺で育てたのが起源。
カブの部分が大きくならず葉だけが育ったことから、葉を漬物にしたのが美味しく、野沢菜漬けとなったと云う。
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りんごさんのメールには、「お店が出来た時からお世話になっています。店長さんによろしくお伝えくださいね」とあった。
毛馬胡瓜浅漬2本と水なすの糠漬を購入、大阪四十日大根の浅漬はサービスとしていただいた。
西むらでは通販も行っていた。
りんごさんのメモには天王寺蕪の碑は、阿倍野の安倍王子神社に建立してあり、「東天下茶屋」下車とあった。
スマホから、「四天王寺前夕陽ケ丘」発、「東天下茶屋」着で検索。
天王寺下車、天王寺駅前から路面電車の阪堺電車で東天下茶屋と出た。便利!!。
りんごさんは中学1年の時に阿倍野区に引っ越してきて、結婚後も2000年まで30年以上阿倍野区に住んでいたことから、阿倍野研究家。
平成12年、『もうちょっと知っとく? 私たちの阿倍野』(新風書房)を出版し、日本一高い「あべのハルカス」創業に向けて、阿倍野・天王寺の魅力発信アドバイザーとして関わったことは、私が例会で紹介している。
路面電車の天王寺駅前に日本一高い「あべのハルカスビル」が建っていた。
天王寺蕪は、江戸時代初期から明治時代末期にかけて約三百年間、摂州の天王寺村(四天王寺より南、阿倍野区、及び西成区の東北部一帯)の特産物として有名でした。
始めは四天王寺僧坊の食料として栽培されていましたが、香り歯切れが良く味も良かったので、なにわの名物になりました。蕪は干し蕪や漬物・粕漬にして諸国に出荷するようになり、天王寺蕪の名は全国に知れ渡りました。
『天王寺村誌』に「天王寺、阿倍野を中心として耕作せる蕪の産額のいかに多くして販路またひろく、しかも、いかにその味の優れたるかを察すべきなり。『和漢三才図会』『本朝食鑑』『摂陽群談』に大同小異の記事あり、その大意にいわく、天王寺蕪は諸国の産に勝りて味甘美、村人は干し蕪として、また、漬物として諸国へ出しその名を天下にはぜるにいたれり」と記しています。
与謝蕪村の「名物や蕪の中の天王寺」正岡子規の「この頃は蕪曳くらん天王寺」の句、幕臣で江戸から大阪へ出張してきた蜀山人の「思い出る鱧(はも)の骨切りすりながし、吹田慈姑(くわい)に天王寺蕪」の詩が残っています。
また、江戸時代の宝暦六年(一七五六)長野県野沢温泉村の健命寺の住職が京都に遊学して天王寺蕪の美味を知り、種を持ち帰って寺に植えた処、気候風土が違うためか、蕪が小さく葉や茎の長いものが出来ましたが、漬物にするとおいしいので野沢菜と名付け、信州の名物になって、今も栽培されています。
碑の裏には、2005年9月23日建立で、りんごさんの名前もある。
阿倍王子神社からの帰り、30mぐらいのところに阿倍清明神社がある。(阿倍王子神社の末社)
阿倍清明と云えば、羽生結弦選手が平昌オリンピックで、阿倍清明になりきって滑り金メダルをとった。
参拝した翌日(6月1日)、羽生選手の国民栄誉賞受賞が決まった。
おめでとうございます。
帰りは、またスマホで、東天下茶屋発、新大阪着で検索したら、路面電車で天王寺に戻り、そこから一本で新大阪行きに乗車、途中なんばでロッカーから預けていた荷物を持って新大阪に・・・。
1時頃、すぐ来たのぞみの自由席に乗ったが、空いていて、4時過ぎには自宅に着いた。