2018年08月02日

今年、東京からの宮中献穀は、精粟の奉耕者に武蔵村山市中央の乙幡清次氏が選ばれた。


毎年11月23日に、宮中賢所で執り行われる、宮中新嘗祭には、戦後、各県からお米と粟が供納されている。
東京では宮内庁からの要請をうけて、東京都から毎年、農業団体に依頼が来る。

東京では、東京都農業感謝実行委員会が、区内地区、西多摩地区、南多摩地区、北多摩地区のローテーションによって、その年の地区が決定されるが、今年はお米が南多摩地区、粟が北多摩地区から選ばれる。

地区が決まると、地区の中のローテーションがあって、今年の農家の代表が選ばれる。

今年は、精米が南多摩地区で、JA八王子の組合員を代表して、八王子市小比企の鈴木俊雄氏が、
精粟は北多摩地区で、JA東京みどりの組合員を代表して、武蔵村山市中央の乙幡清次氏が選ばれた。

精粟として奉耕する品種は、江戸東京野菜と同じ、伝統の穀物として古里1号種を定めている。




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先日暑い日だってたが、JA東京みどりの原省三さん(元指導部長)にご案内いただいた。

奉耕者の、乙幡清次氏(右)、後継者の修さん(左)にお会いした。

播種祭は、6月9日に地元お伊勢の森神明宮の荒張宮司のもとで、厳粛な中で執り行われた。

順調な生育の中で、粟を鳥から守るために、地元の農家が総出で、ネットを張ると云うので、伺ったもの





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粟の栽培は、宮中新嘗祭の一翼を担う強い意識から、リスク管理として一部はハウスの中で栽培し、主栽培地は露天圃場の2か所で栽培をされていた。

上の画像をタツプする






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7月に入りますと穂が出始めるために、その前に鳥害対策としてネット張を行ったもの。

上の画像をタツプする

古里1号は、糯粟で、毎年圃場が変わり栽培されることから、劣化せずに穂をつけている。

武蔵村山地区からは昭和37年に村山町中藤の渡辺準一氏が奉耕してから、56年振りであり、名誉なことと受け止められている。

穂が出てから、又伺ってみようと思っている。
posted by 大竹道茂 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の農業と農業者達
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