日野市公立小学校教育研究会から招かれ、日野市の農業と食育の事例を紹介したことは、当ブログで紹介した。
特に、日野市の伝統野菜・東光寺ダイコンの歴史や現状をお話しした。
東光寺ダイコンは生産者が減少している、これと同じことが、10数年前の練馬大根の練馬でも起こっていた。
練馬ダイコンは知っていたが、練馬の殆どの区民は食べたことのない現状だった。
そこで企画したのが、練馬大根引っこ抜き競技大会だった。今、日野市でも何か考えないと、東光寺ダイコンがなくなってしまうと、栄養士の皆さんにお話しをした。
講演後、食育部の皆さんで、「東光寺ダイコンを日野市の全小学校で給食で取り入れていこう」となったとの、お手紙を、給食部一同から頂いた。
東光寺ダイコンの播種は、8月の下旬か9月初めと云うことで、時間的余裕がない現状だった。
このことは研究会の講演に同席されていた多摩・八王子江戸東京野菜研究会の石川敏之さんが、福島秀史代表にも伝えたことで、日野市食育部の皆さんの思いに応えようと云うことになり、
福島代表と日野市都市農業振興課農産係や、保健給食係にも、挨拶に伺ったあと、これまで東光寺ダイコンを栽培してきた、奥住善則さんを訪ねて、日野市の子どもたちのために協力を要請した。
日野市の食文化を育ててきた東光寺ダイコンを、次の世代に伝えていくには、食べることが重要だと云うこと等、奥住さんも同じ思いだったことは理解している。
初年度だから、出来るところから始めようと云うことで、奥住さんが少し多めに種を蒔いてもらうことで、了解してくれて、実施に向けて動き始めた。
平成2年には、今上天皇の大嘗祭の庭積机代物として、東京都を代表して日野市の東光寺ダイコンが選ばれたこと、和田恒雄さん、菊代さんご夫妻が、栽培をされた。
その畑がどうなっているかを見に行った。
お父さんの和田恒雄さんが亡くなられたことで、お嬢さんがトラクターで耕うん作業をしているところだった。
奥住さんも、少し離れた畑で肥料をまいていた。
奥住さんの畑の近くに、東光寺上公園があり説明板が建っていた。
明治26年頃に、板橋の方から来た薬の行商人から勧められた大根の種を蒔いたのがはじまり。その後生産者も増えていった。
そして平成2年の大嘗祭に庭積机代物として栽培され供納されたが、
説明板は誰が建てたのか、「皇室への献上品」とあいまいな表現になっている。