江東区立第五砂町小学校(高橋修校長) での砂村一本ネギの栽培は2010年からだから今年で9年目になるが、4年生の総合の授業で指導してきたのは、3月まで同校の栄養教諭だった銭元真規江先生で、砂村一本ネギの栽培授業は、夏休み明けの早い時期に、プランターにタネ蒔きから始まる。
その後、2カ月弱で、プランターで伸びた苗を菜園に移植する。そして何回かの土寄せ作業を行うが、ネギの栽培は終わらない。
4年生から5年生になって、ネギ坊主が出るころ、給食で食べるわけだが、その前に放射能で汚染されていないかの検査が必要で、銭元先生は、自ら検査機関に持参して検査を行い、問題がないことを確認して給食に出していた。
一部菜園に残したネギ坊主から4年生に手渡すためのタネを採る。
銭元先生は、今年4月に江東区立明治小学校に異動された。
その後の、五砂小からは連絡が途絶えていたが、2学期が始まったところで4年生担任の石田貴文教諭から依頼が来た。
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銭元先生は、江戸東京野菜は固定種だから、タネを伝えていくことを授業の中に取り入れた。
5年生の代表から、メッセージと共に4年生へタネが手渡される贈呈式は五砂小の伝統で、受け取った4年生も一人ひとりがその決意を述べた。
このことは足立区に伝わり、千住ネギを復活栽培している学校は4校になっている。
砂村一本ネギのタネを手にした、4年生に「砂村の野菜」と題したパワーポイントを見せた。
今回は、先生方も初めてなので、先生方にも知っていただく意味から、タネ蒔きから、菜園への移植、土寄せ、そして5年生になってからの収穫と、来年の4年生にタネを贈呈するまでを紹介した。
生徒たちは、盛んにメモをしていた。
昨年は、学校保健委員会「すこやか五砂」で、保護者の皆さんに、「江戸東京野菜の砂村一本ネギから学ぶ食育のあり方」についてお話をさせていただいているので、下級生の保護者へのお約束が引き継がれるようにと思っている。
砂村は砂村新左衛門が新田開拓を行っていて、
砂村新左衛門の顕彰碑が同校先の元八幡交番前にある、元八幡(冨賀岡八幡)の境内に建立されていた。
境内の、「冨賀岡八幡宮御由緒」には、名所江戸百景に「砂むら 元八まん」が紹介されている。
絵図には遠く房総の山々が望め、五砂小の辺りは干拓はまだで海の中、そのことを4年生に伝えるとビックリした顔をしていた。
砂村の地は、宝六島を中心に砂村一族によって開拓が進められ、万治二年(1659)に414石の新田を開発した。
延宝九年(1681)に江戸府内のゴミ捨て場に指定されて以来、日本橋魚河岸から出るゴミ等が小名木川から運河を通って運ばれ、積もったゴミは腐植土となり野菜栽培に適した土地になっていった。
今回はタネ蒔きも、指導した。
プランターを3クラスの生徒110人が取り囲み、タネを蒔いた。
石田教諭には、砂村一本ネギの生育状況も連絡いただくようお願いしておいた。