依頼されたタウン誌の座談会で、先日久しぶりに銀座まで行ったので、途中、昼食に乗り換えの日本橋で下車して、新・都市型ショッピングセンターとしてオープンした日本橋高島屋S.Cに立ち寄った。
創業230年の更科堀井が6階のエスカレーターを登ったところに出店したことは、9月に行われたお祝いの席で披露された。
更科堀井四季の会は、4年目に入り「秋の会」も、美味しいそば料理をいただいていて、冬の会は2月26日(火)、27日(水)に予定されている。
早く伺わねばと思っていたが、昼時に日本橋まで出かけることもなかったから、遅くなってしまったが12時前だったが、お客さんは椅子に座って順番を待っていたので、空いていた丸椅子に腰を掛けた。
本日の蕎麦は、2018年度産新そば 北海道弟子屈町産 摩周湖そば生産組合(生産者)とあった。
上の画像をタツプする
茄子、蓮根、椎茸、アスパラ、南瓜、茗荷、しし唐の精進料理。
何時か、このメニューに江戸東京野菜をくわえたいものだ。
大きめの蕎麦猪口にそば汁を浅く入れて、白く仕上げた新そばを・
そばをすすった合間に、天麩羅をそば汁につけて頂いた。
そばが少なくなったところで、そば湯が届いた。
大きめの蕎麦猪口がいい。そば湯を入れると薬味の葱が浮いた。
そば湯を味わってから、歩いて銀座伊東屋の会場に向かった。
追伸
銀座百点の座談会が終わっての帰り、時間があったので、三越駅前で下車してコレド室町の北側に鎮座した福徳神社に参拝した。
2008年、福徳神社がまだ、三井不動産のビルの中にあったころ、三井物産のまちづくり部門が運営する室町「福徳塾」のイベントに呼ばれたことがあったが、江戸東京野菜の復活普及を祈願したものだった。
前年の2007年2月に日本橋「ゆかり」の二代目野永喜一郎社長から江戸東京野菜をたくさん作ってくれと激励をいただいていたことから、室町「福徳塾」で江戸東京野菜の紹介を勧められたもの。
2010年5月31日、三井不動産が主催して、室町福徳塾「感謝の夕べ」が行われたが、これは、日本橋地区の再開発として、この日を最後にクローズしたもので、4年後の2014年には境内のある神社として、福徳神社がビルから外に出ると云う。
同神社の歴史は古く、9世紀後半とされていて、二代将軍秀忠の時代に「社地縄張330坪」の記録がある。
明暦3年(1657)の大火などや、日本橋の発展により境内地を殆ど失い、一時は消滅の危機に瀕していた。
2014年10月に、かつての福徳神社を髣髴とする境内地がビルの谷間に復活し、日本橋の守り神として350年振りに復活鎮座した。
当ブログでは、江戸初期の福徳神社が再興されたことを、紹介していなかったのでここで紹介するもの。
建立された頃は武蔵野の村落のひとつ福徳村の稲荷神社で、稲荷の森も再現された。