2019年01月17日

JAセレサ川崎の「あぐりっこ農園」利用者の交流会に伺い、友人の立川さんに宮前地区を案内してもらった。


JAセレサ川崎の営農部アグリサポート課の横山昇さんから、同課が地域住民対策として運営している体験型農園、宮前平、五月台、梶ヶ谷の3カ所の利用者交流会に来てほしいと、昨年の4月に依頼された事は当ブログで紹介している。

元旦に届いた年賀状の中に高校時代のクラスメイト立川猛さんからの一通が目に留まった。
添え書きに、地元のJAセレサ川崎の組合員だとあったので、
電話で会えないかと連絡をしてみたら、宮前を案内してくれることになった。

立川さんは、農業は親に任せて横浜の金融機関に勤めておられたが、定年後は宅地化した地域の中で資産管理をされているようだった。






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13時半からの交流会に立川さんは、宮前平農園の園主梅原正寿さんと一緒に来られた。
同じ宮前区で野菜栽培に取り組んでいる梅原さんを応援しているという。

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農園利用者20名の方々がお集まりになった。
交流会は、営農部アグリサポート課の林田剛課長の進行で開催され、

指名されて「江戸東京野菜には物語がある」のタイトルではじめたが、途中から川崎の伝統野菜についても、時間をとってお伝えした。

鎌倉の佐助稲荷神社に伝わる伝説の、源十郎の大根を由比ガ浜で見つけたことなど、読売新聞に掲載された資料を配布して、ハマダイコンについても説明。

それが、多摩川の二子玉川にもあることから、対岸の川崎市にもあるのではと、興味をそそる話しに展開した。
また、川崎市百合丘の近くにある万福寺では、滝野川ニンジンを復活させた「万福寺大長ニンジン」も滝野川ニンジンとして江戸東京野菜に追加されている。






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特に、のらぼう菜については詳細に説明を行った。
この時期、のらぼう菜の収穫には早すぎるが、林田課長が探して来たとかで、皆さんに試食してもらう準備をしていた。

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江戸時代中期の1767年(明和4年)9月、関東郡代伊奈忠宥(ただおき)が地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて、「闍婆菜」の種子を武蔵の中山間地に配布した記録が残っていて、東京の五日市町など以外に、埼玉県入間野、そして川崎市菅地区に産地があることを紹介。

五日市ではのらぼう祭りが行われていることを紹介。

のらぼう菜のレシピコンテストも実施され、東京都庁の食堂でも食べる会が開催されている。

五日市での収穫体験などを紹介した。

三鷹市ではのらぼう市が開かれていることも紹介した。

「あぐりっこ農園」の利用契約では、農園利用は1月までなので、のらぼう菜を栽培することはできない。
今回、農園利用者が、のらぼう菜のおいしさを確認したことで、アグリサポート課の林田課長は収穫体験など農園利用者に便宜を図ることを検討するようだ。






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交流会会場はセレサモスの2階だったが1階は、地元川崎市の生産者が収穫した農産物を中心としたファーマーズマーケット。

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立川さんに車で、宮前地区を案内してもらった。
先ずは、宮前平農園(あぐりっこ農園)は、田園都市線の宮前平駅から7分の地点にある。
農園のオーナーは、交流会に来てくれた梅原正寿さんで、自宅裏に農園はあった。

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契約は1月までだが、大根、カリフラワー、ブロッコリー、春菊、ニンジン、水菜、白菜、小松菜、ホウレンソウなどが収穫を待っていた。

あぐりっこ農園は、種、苗、肥料やクワ、カマ、スコップまで、野菜作りに必要な農具は、農園に全部用意してある。
園主が栽培指導をしてくれ、栽培の講習会もある。
また、バーベキューや収穫祭など、利用者の交流会もある。



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梅原さんのお宅は、玄関先で野菜と果樹の直売(トップの写真)を行っている。
「有機栽培で、無農薬、無化学肥料だから、安心安全で美味しい」が売り、

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多品目栽培で、年間50品目を栽培していて、新しい品種なども栽培されていた。

梅原さんの畑の真下、地下40mをJR東海のリニア中央新幹線が走ると云う。






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JR東海のリニア中央新幹線が走る地下40メートルのトンネルの土を掘りだす換気施設をつくっているという梶ヶ谷貨物ターミナル駅の一角。
品川からここを通って橋本へ向け掘り進む。品川から名古屋まで40分だと云う。

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宮前の鎮守・馬絹神社の氏子だと云うので案内いただいた。

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この辺りは、武蔵の國の多摩丘陵の一角で、7世紀後半と云われる馬絹古墳がある。
江戸時代、元禄年間(1688−1704)以前の創建だと云われている。

明治4年(1871)に行われた廃藩置県の後に多摩地区の大半は神奈川県に属することになったが、明治政府は明治26年(1893)三多摩を東京府に編入している。

宮前区をご案内いただいたが、とにかく坂道が多い。
馬絹神社の参道も長い石段を登って行った先にご本殿。






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最後に、立川さんの畑にご案内いただいたが、立川さんのお宅も斜面にあるから、50台収容と云う自宅裏の駐車場から畑を見下ろした。

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JR武蔵野南線(府中本町から新鶴見信号場の貨物線)の出入口が畑の先にあった。
その先に、厚木街道の陸橋、そしてその先に斜面の森は馬絹神社になる。

立川さんの話しでは、高校・大学とバスで溝の口まで出て、溝の口から大井町線に乗り換えたという。

大学を卒業した昭和41年になって溝の口と長津田間の東急田園都市線が開通したことで、自宅から7分のところに宮崎台駅が開業した。
不便だった宮前からは30分かからずに渋谷に通えるようになり、急激な宅地化が始まったという。

今ではこの電車、半蔵門線と繋がって押上(スカイツリー前)駅まで行っているから、今度、江戸東京野菜を食べさせる押上「よしかつ」へ立川さんを案内しようと思っている。

暗くなるまでご案内いただき、立川さんありがとうございました。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 全国の仲間の話
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