久しぶりに目黒に行く機会が出来た。
小学校(目黒区立油面小学校)の旧友も少なくなったが、幹事長の股野道夫さんが、目黒駅近くの中華料理店「香港園」を会場にしてくれていた。
我々の時代は50人の6クラス、1年から6年までクラス替えが無かったから、結束が強く、定年後、股野さんが幹事長になってからは毎年のように開催している。
目黒については、これまでもブログに書いてきたが、江戸時代は墨引きされた地域であった。
権之助坂の途中、目黒川に掛かる目黒新橋の袂の国旗掲揚台に表示されている江戸時代からの旧町名「下目黒」は、現在目黒1丁目になっている。
江戸の地域を明確にする「朱引き」と、町奉行の支配地「墨引き」を見ると、目黒は、朱引きの外だから、江戸ではなかった。
江戸市民の信仰が篤い目黒不動には参詣者が多く、目黒は江戸の外だが町奉行の支配地になっていた。
目黒不動は、28日が縁日で、毎月参詣者で賑わうのは、子どもの頃の記憶に残っていて、
当時は、むしろで囲った怪しげな見世物小屋などもあった。
独鈷の滝の説明には、涸れない滝とある。
柵の奥には、明治44年に甘藷組合が建立した昆陽青木先生碑銘と、
右側の甘藷講は、芝・麻布・赤坂の甘藷問屋が建立している。
青木昆陽墓(国指定史跡)は目黒不動尊の裏手にある。
墓石には「甘藷先生墓」とあり、生前自分で彫ったという。
青木昆陽は、晩年大鳥神社の裏手の下目黒に住んでいたようで、
ここに墓がある。
今度は賑やかな、昆陽の甘藷祭りの時に来ようと思っている。
目黒不動の隣、五百羅漢寺に立ち寄った。
天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)松雲元慶禅師が江戸本所(現、江東区西大島)に創建されたもので、先日伺った江東区総合区民センターの所に五百羅漢跡の石碑が建っていた。
油面小3組の会は股野幹事長の乾杯で始まった。
私を含めて3人は早生まれだがそれ以外の皆さんは75歳の面々、健康だけが取り柄だ。
今年も遠路福岡から、鹿児島さんがお土産を持って駆け付けてくれた。
参加者は斎藤綾子さん、川村喜美子さん、西丸美枝子さん、
佐藤育さん、鹿児島修子さん、太田徹君、松本大五君、
山岡千恵子さん、宇井由美子さん、渡壁福三君、股野道夫君、
杉田茂治君、私の以上13名の皆さん。
毎年集まっているが、都合がつかなくて参加できないことも多く、皆さんには失礼しているが、最近では昨年の6月、目黒の筍を聞きに来てくれた。
目黒区役所でやった時も来てくれた。
神奈川にお住いの方も多く、鎌倉大根の店・福来鳥にも行ってくれているという。
ありがたい応援団でもある。
新宿の手打ち蕎麦「大庵」で行ったり、古希を祝うランチクルーズも企画してくれた。
母校を訪ねたこともあったし、2006年には若狭誠三君の屋形船でやったことがあったが、現在は甥っ子の若狭俊彦さんが「ゑびや」を引き継いでいる。