三河島菜の故郷、荒川区立尾久宮前小学校(丸山稔校長)の4年生が毎年栽培している青茎三河島菜が、調べ学習に入ったと、鈴木理恵栄養教諭からメールをいただいたので、先日伺った。
毎年、種まきの授業は2学期の9月中旬に、小平市の宮寺光政さんが来て種を蒔き、栽培の話をしている。
三河島菜は、癖のない青菜だから、成長の過程で、どの時点でも美味しくいただける。
生徒たちに、「どのくらい大きかったか教えてください!」と質問すると、銘々が、手で大きさを示してくれた。
三河島菜は、結球しないから、ぼさぼさの感じだが、小松菜などの青菜としては大きなものだから、個々印象が強かったようだ
生徒達も、自分たちが栽培したという意識もあり、特に美味しかったようだ。
「大きくても茎はサクサクして美味しかったでしょ!、」と、訪ねると、何人もが相鎚をうっていた。
生徒達は、調べ学習をしている最中だったので、色々と質問が寄せられた。
生徒達が、手まねで大きさを教えてくれたが、鈴木栄養教諭に収穫時の写真を送ってもらった。
立派な三河島菜が収穫されていて、お家に持ち帰って食べたようだ。
帰りに、鈴木栄養教諭と、関川浩副校長が見送ってくれたが、
そもそも、青茎三河島菜は、2010年だから4年生が1歳になった頃、栽培指導をしている宮寺さんが復活栽培したもので、その時に鈴木栄養教諭が畑に来て、給食に出したいと云われたことに始まるので、生徒たちに伝た。

三河島菜については、1997年に江戸・東京の農業の説明板「三河島菜と枝豆」を、荒川3丁目の三河島稲荷神社に建立してある。
江戸時代に発行された江都自慢には、「三河嶋漬な」として掲載されていて、漬物は江戸名物で、その種は土産として全国に持ち帰られていて、そのひとつが仙台で芭蕉菜として栽培されていた。
生徒たちに歴史についても紹介した。