江戸東京野菜推進委員会では、平成30年度江戸東京野菜品目追加登録について、昨年の11月28日に開催し、「三つ葉」が追加登録されたことは、当ブログで報告した。
当日、申請予定だった奥多摩町の「治助イモ」が資料の提出が遅れ、その他品目として申請されていた「深大寺在来種」は、農家の生産へのかかわりや、生産面積についての記載漏れがあったことから、保留となっていたが、遅れて提出された「治助イモ」と合わせて、今回審議された。
新年度からは東京都の指導もあり、都市農業支援部の中に
新たに江戸東京野菜普及推進室を設けることになり
生産支援、販路開拓、流通改善、事業者向けPR等を行うと云う。
島田幸雄江戸東京野菜推進委員長、
東京都農林水産部の谷藤家信園芸緑化担当主任などの出席のもと、
開催された。
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品目、「治助イモ」
歴史・背景
先祖代々種芋が受け継がれてきたが、収穫量の多い男爵などが栽培されるようになり姿を消していった。
しかし、峰谷の集落で栽培され続けていたのが発見され、奥多摩町に古くから伝わるものであるので奥多摩町として普及、生産量の拡大を図っている。
現在の生産者数は45名で、販売協力店も町内に多数ある。
奥多摩町以外の農業者が「治助イモ」の名で生産・販売を行う場合には奥多摩町観光産業課の許諾が必要である。
品種特性 「甘い香り」が他のそばに比べても格段に濃い、
産地の歴史/風土
それまで農家独自で行っていたそば生産は、昭和60年代から深大寺が中心となって、地元農家(檀家)の協力を得て、そば栽培に取り組み始めた。
深大寺では現住職の張堂完俊師が、深大寺そばに関わる方々で、お寺所有の荒れ地を開墾してそばづくりを始めた。
そばづくりにあたっての指導は地元農家の高橋金平氏(深大寺元町・農家)と、戦後も地元で深大寺在来種を栽培してこられた相田辰吾氏(深大寺南町・農家)にもお願いした。
深大寺では、そば文化を広めるために、栽培からそば打ち、食べ、語る同好の市民を中心に「一味会」を結成している。
江戸時代からの風土の特性を生かしたそば文化の伝承と継承を担うと同時に、農地の存続の役割と地域のみどりと環境を守る役割を果たしている。
生産者数 冨澤功次氏、矢田部高一氏