2019年03月29日

鎌倉大根のイベント、鎌倉材木座の浄土宗関東大本山光明寺の理解を得て5月5日境内で開催する。


鎌倉の佐助稲荷神社には、由比ガ浜で魚売りが子狐を助けたことから、
由比ガ浜の大根の種を蒔いて栽培したと云う古事が伝わっている。

この古事をもとに、皆さんに探していただいたら由比ガ浜に、
ハマダイコンの種が見つかり、それで栽培が始まったことは、
当ブログのカテゴリ「鎌倉大根」に、まとめてある。

昨年、鎌倉大根が読売新聞に掲載されたが、同じような謂れが、
鎌倉材木座の光明寺にあることが紹介されていた。







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材木座では鎌倉大根を栽培していたことがあるから、
一度伺いたいと、福来鳥の佐藤えだ女将にお願いしていた。

先日鎌倉だいこん未来研究クラブの花村勝男代表
府川七郎さんの4人で、光明寺の僧侶伊藤圭祐氏にお会いした。

上の画像をタップする
境内の一角に祀られている「繁栄稲荷大明神」が、
佐助稲荷神社を勧請されたお社という。

「当寺開山良忠上人は、
この地に当寺を開くまでしばらく佐介ケ谷に住まわれていました。
この時上人は子狐を助けたことがありました。
すると夢に親狐が現れ、
お礼とともに薬種袋を残していったということです。

鎌倉に悪病が流行した折、上人はこの時の夢のお告げに従って、
薬種を蒔くと、三日の内に成長し、この薬草を服すると薬効顕れ、
病魔はたちまちに退散したということです。

のちに稲荷大明神として当寺に勧請し、病魔退散、豊漁満般、家業繁栄
を祈念しています。」

良忠上人が佐助ケ谷に開創した蓮華寺を起源とし、
寛元元年(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したとされ、
「佐介(助)谷に住まわれていた時に、子狐を助けた。」
「当時鎌倉に悪病が流行した。」

とのシチュエーションは似ている。

「この薬草を服すると薬効顕れ」とあるが、
薬草とは大根だったのか、何だったのかは皆さん興味がわく、

5月5日に、境内をお借りして、
鎌倉だいこん未来研究クラブの花村勝男代表が、
大根の花が咲くこの時期に「花まつり」を開催すると云う。
同寺の伊藤氏は、
繁栄稲荷大明神前から山門に向かった一角を、
赤鉛筆で地図に書き込んでいた。

鎌倉大根から、浄土宗大本山とご縁が出来たことは嬉しい限り、
と鎌倉だいこん未来研究クラブの皆さんは喜ばれていた。






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浄土宗関東大本山 天照山蓮華院光明寺

上の画像をタップする
現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で、
本尊阿弥陀三尊ほか諸仏が祀られている。

30日(土)、31日(日)、は観桜会が開催される。






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浄土宗の庭園は「記主庭園」と呼んでいる。
この時期にはないが、これから夏には蓮池となり観蓮会が開かれる。

上の画像をタップする
庭園の奥にそびえる大聖閣は、
宗祖法然上人800年大御忌を期して建てられた。
お堂の二階は扉が開かれ、安置されている阿弥陀様の尊顔を拝する。







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現在の山門は弘化4年(1847)に造られたものです。
間口約16m、奥行約7m、高さ約20mで
鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えた山門。

上の画像をタップする 
二階からの眺めは素晴らしく
材木座海岸から由比ガ浜、遥かには江ノ島、富士山を一望できる。
境内には、大殿、鐘楼、そして「繁栄稲荷大明神」

山門楼上には、釈迦如来をはじめとする諸仏が安置されて、
お寺の入口である山門において外界から法と人を護っている。
中心には釈迦三尊、四天王、その両側に十六羅漢が安置されている。

追録

光明寺から戻った花村代表と府川さんとで福来鳥で昼食をいただいた。



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福来鳥の名物、
風呂吹き大根は手作りの鳥ハムとブロッコリー、椎茸、菜花。

上の画像をタツプする
ぶり大根、青首ダイコンと、赤ビーツの和風ぴくるす、
大根とジャガイモ、鮭入りキッシュ。ルツコラの辛味スープ
鎌倉ビールで大根を漬けた〜ほろ酔い気分〜、菜飯。

美味しくいただいた。ご馳走さまでした。


追伸

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上の画像をタップすると拡大


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の鎌倉大根
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