2019年04月08日

玉川上水から分水した用水は、小川となって立川を潤していた。


最近、これまであった農地に住宅やマンションが建っているのが気になって、相続が発生したのかと寂しくなる。
昔の用水などが、都市緑地、水と緑、として生かされているのを見るとほっとした癒しを感じることもある。

立川市の生産者を訪ねる時によく通る道路の脇を流れる小川(昭島市武蔵野)は、川底が浅く小石が良く見えて、流れが速く、

「♫ 春の小川は さらさら行くよ ♬」 癒される。


昔懐かしい田畑の脇を流れている小川を思い出させるが、周辺には梨園がある。






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川面がキラキラ光って・・・

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玉川上水に架かる松中橋で分水している用水だということは知っていたが、なんという用水だかは知らなかった。






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何と云う用水か気になっていたが、松中橋近くの玉川上水の金網に「玉川上水」説明板が建っていた。

多摩川の水を飲料水として江戸市中に供給する目的で開削された上水路とある。
羽村の取水口から四谷(新宿)に至る開削は幕府の命により玉川兄弟が請け負い。承応3年(1654)に完成した。
この水は、水の乏しい台地上の村々にも多くの分水を通じで供給され、人々の農耕生活に重要な役割を果たしてきました。

この地から分流するる砂川分水は明暦3年(1657)の開通、柴崎分水は元文2年(1737)の開通で、それぞれ砂川新田・柴崎村(元立川)の人々に永い間生活・農業用水として利用されてきた。とある。

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昭和の森ゴルフコースの入り口の脇を流れた上水は。松中橋の所で分水して「柴崎用水」となる。






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柴崎用水と初めて知った。

用水の脇を歩いてみたら、用水が一軒の農家の屋敷に流れ込み、そこで二つの滝となった。
一つは屋敷から流れ出て、一つは屋敷内を流れた・・・

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了解をとって屋敷内を撮らせていただいたが、屋敷内の流れは、竹藪の辺りで、野菜を洗ったり、食器を洗ったりできるようになっていた。
その流れは屋敷地を出て、先に出た流れと合流して梨農園と道路の境を小川となって流れていた。

何所まで行くのかだが、途中暗渠になったりしていて、昭和記念公園の中を流れて、柴崎市民体育館の脇を流れて、多摩川に流れ込んでいる。






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柴崎分水の流れを確認していたら、残堀川河口近くの新奥多摩街道の立川橋東信号を入ったところに、
小川の再現として、湧き水を復元した根川緑道があった。

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根川緑道の話しによると、立川市下水処理場で高度処理された水を利用しているとある。
昔植えられた桜を残して、かつての小川の景観を再現したとある。


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農地のある景観と環境
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