2019年05月20日

江戸の「居木橋カボチャ」と上方の「勝間南瓜」の接点を調べる。


先日、頼みごとがあって品川区立品川歴史館の冨川武史学芸員を訪ねた。

同館には、昨年めぐろ歴史資料館が特別展として「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの」を開催する中で、筍の話を依頼されたことがあって、丁度同時期に品川歴史館では「山路治郎兵衛のタケノコ栽培と足跡」の企画展を開催していたので情報収集に伺ったことは、当ブログで紹介している。

品川には平成9年に、品川神社の境内に、「品川ネギとカブ」の農業説明板を建立していて、それに伴って、毎年12月23日には、品川蕪品評会が品川神社に大勢の区民を集めて開催されている。





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上の画像をタツプすると品川歴史館解説シート

〜居木橋南瓜、戸越の筍、品川蕪〜、の内、居木橋村の特産カボチャ・居木橋カボチャは江戸東京野菜として探しているカボチャだ。

居木橋カボチャは、寛永15年、上方から種を取り寄せ、居木橋村名主の松原庄左衛門に栽培させたという伝承がある。






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「上方から〜」というので、難波りんごさんにメールで「なにわの伝統野菜」の「勝間南瓜(こつまなんきん)」のタネをお願いした。
早速、勝間南瓜を栽培している「道の駅かなん」元駅長の阪上勝彦さんが種を送ってくれた。

阪上さんに、電話でお礼を申し上げたが、神戸で行われた「ひょうごの食シンポジウム」と、「平成29年度大阪府農業委員会大会」で、江戸東京野菜の話を聞いていただいたとかで、ご縁があったようだ

阪上さん、ありがとうございました。

福島秀史さんが実家の畑で栽培してくれると言っていたが、苗づくりのために宮寺光政さんに播種作業をお願いした。

上の画像をタップする
いい種をいただいた。






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冨川学芸員から、品川農業の歴史を伺ったが、資料は関東大震災、そして戦火によって消失、農業の関係資料が少ないそうだが、特に目を見張ったのは、平成29年度特別展示「大崎・五反田 〜徳川幕府直轄領の村々〜」の冊子(千円)で、居木橋カボチャも掲載されていた。

居木橋カボチャは、寛永15年(1638)に上方から〜、とあるが、勝間南瓜の資料を調べてみると万延元年代(1860)〜、とあり、時代にして200年の差があるのには驚いた。

上方から居木橋に伝わったカボチャが、江戸土産として種が再び勝間に伝わったのか、勝間南瓜への興味が沸いてきた。

りんごさんを通して、阪上さんに居木橋カボチャの細密画を見ていただいたが、全く同じだという。


谷山の茄子

これまで同区の特産として、品川カブに、戸越のタケノコ、品川ネギに、居木橋カボチャ、大井のニンジンと聞いていたが、発行された特別展冊子には、谷山(ややま)村の茄子売帳が掲載さていた。

谷山村では茄子が栽培されていて、享保3年6月9日から9月27日に至る約3ケ月間の売り上げは、あわせて34貫736文に上ったとある。

東京都公文書館所蔵の荏原地域文書として、享保2年(1717)6月の「覚(青物の人概員数書上)には、享保2年6月における谷山村産野菜の数量を報告した書類の控え。

茄子13駄(1駄に800個余り)、夏大根8駄(同500本程)、莱8駄(同4尺縄6束)とある。1駄は馬一頭であるから、茄子を約10400個、夏大根を約4000本、葉を48束出荷したようである。と興味ある内容で、新たな発見だ。

谷山村は明治22年に合併して大崎村になったが、明治37年、立正大学が谷山ガ丘に大崎キャンパスを創設した。明治44年には星製薬が大崎に創立され、同年五反田駅が開業しているから、その頃から急速に都市化が進んでいる。

追録

江戸・東京ゆかりの野菜と花(農文協)では、居木橋カボチャを
居留木橋カボチャと表示しているから、当ブログでも「居留木橋」
としてきたが、細密画も、品川区の発行物がすべて「居木橋」なので、
今後、「居木橋」に統一していく。


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