品川歴史館の冨川武史学芸員にお話を伺ったが、居木橋カボチャには諸説があるようだ。
品川歴史館解説シート「江戸野菜の名産地・品川の農業」には、「居木橋南瓜は、禅僧・沢庵宗彭が、三代将軍家光により北品川東海寺の開山を命じられた寛永15年(1638)、上方から種を取り寄せ、居木橋村名主の松原庄左衛門に栽培させたのがこの地方の南瓜の始まりという伝承がある。」とあるが、
これは居木神社に平成9年に建立した「江戸東京・農業 居留木橋カボチャ」に書いてある。
「江戸・東京ゆかりの野菜と花(農文協)」には、一説として「三代将軍・家光の時代、澤庵禅師が北品川の東海寺の住職だったときに、
井戸辺で苗を発見して名主の松原庄左衛門に栽培させたのが始まりという。その一方で、禅師が各地をたずね、中国地力から持ち帰ったとも伝えられる。」とある。
沢庵禅師の墓がある通称大山墓地に向かった。
寛永16年(1639)、
三代将軍家光によって創建された東海寺の開山に迎えられ、
沢庵宗彭は晩年を送った。
墓の後ろ(西側)をJR東海の新幹線が走っていた。
上の画像をタツプする
墓に登る石段の東側はJR京浜東北が走っている。
大きな自然 石を置いた沢庵の墓である。
沢庵禅師は、米糠を使った漬物、ぬか漬けの普及により、
五代将軍綱吉の時代になると、練馬大根をぬか漬けにして販売する
江戸っ子の食生活に欠かせず、沢庵漬けとして現代まで普及される
上の画像をタップする
居木橋カボチャの苗を発見した井戸を確認することはできなかった。
新幹線と東海道線に挟まれた場所になってしまった。
目黒川に架かる居木橋も近い。
上の画像をタップすると品川歴史館解説シート
「東海寺と沢庵」の裏ページに万治3年(1660)、東海寺に残る
一番古い境内絵図を見ると、広大な境内地を持っていた。
一説によると、
大政奉還により明治政府は、幕府の手厚い保護を受けていた東海寺を
明治6年に接収し、境内に後の官営品川硝子製造所を創設した。
以後、境内地には鉄道を通し、民間等に払い下げた。
これにより東海寺は旧塔頭の玄性院(元・臨川院)と、
大山墓地が残るのみとなってしまった。
追録

墓の隣、官営品川硝子製造所跡に、JR東海のリニア中央新幹線の非常口(都市部)変電施設(地図の白丸)が作られていた。
品川駅を出て、沢庵和尚の眠る真下、地下40bのところから右に洗足池方面に曲がっている。