北方領土のビザなし交流で、国後島に渡った国後島出身の団長大塚小彌太さん(89)に対して、団員として加わっていた日本維新の会の丸山穂高衆院議員(35歳)が、戦争で取られた島は戦争で取り返すしかないのでは、発言が飛び出した。
丸山議員は「でも取り返せませんよネ!」
以下二人のやり取り
「戦争はすべきじゃない」
「戦争しないとどうしようもなくないですか」
「戦争なんて必要ないです。」・・・・・
1997年6月に「北方領土の返還を求める都民会議」の一員として参加したことがある。
同団には墓参のために同行した根室在住の濱田さんが、先祖に祈りをささげた。20数年も前の話しだ。
「令和」を迎えるに当たりテレビのインタビューで「どんな時代にしたいですか?」との質問に、多くの国民が「平和な時代であってほしい」と答えていたが、令和元年に「戦争で取り返す」発言。
そもそも「ビザなし交流」は、北方領土に眠る先祖の墓参がしたいという元島民の願いを、領土問題とは別に、ソ連との交渉で人道上から10年もかかって1964年に実現したもので、この場合、日本政府が発行する身分証明書による墓参となった。
しかし、ソ連は1976年に、ソ連の領土だからとパスポートとビザを要求してきたが、日本政府はソ連の領土とは認めないと拒否し墓参は中断。
1986年に11年間の交渉で、パスポートとビザ無し訪問が提案され、墓参は再開されて今日に至っているわけで、このビザなし交流の場で、戦争発言をするのか!
当時のレポートを紹介する。
当時から比べるとロシアの対応は厳しくなっているが、
国益無視の発言で、我が国北方領土はさらに遠くなってしまう。