先日、都市農地活用支援センターの会議に出席するため、更科堀井のメニュー会議が終わった後で麻布十番から地下鉄に乗ったが、ここまで来たからと人形町で下車して昼食は「玉ひで」でとることにした。
玉ひではいつ来ても行列ができていて、2時過ぎまで続いているが、11時半頃だからそんなに待つことはないだろうと思ったが、すでに行列はできていた。
店に招き入れられて、親子丼の食券を購入したが、そこでも二列で待ったが、丼を食べるだけだから、順次食べ終わったお客が出ていくのを、期待して待っていた。
親子丼は最上級ブランド鶏・東京軍鶏を使っていますとある。
お昼の親子丼には4種類あったが、2階席には「進化親子丼 昼膳」もある。
どれも美味しそうだが、おすすめの文字があったので、超越親子丼の鶏三昧を注文した。
相席をお願いしますというので、並んでいた前の方たちと一緒の掘りこたつの席に通された。
初めに、お茶と一緒にコラーゲンの軍鶏スープが出てきた。
しばらくすると、立派な三段の丼が運ばれてきた。
親子丼の上には、漬物と旨みの鶏粉が乗っていて、一口食べた後、親子丼にかけて食べてくださいとのこと。
「超越親子丼 鳥三昧」は、「進化親子丼 温故知新」に、新手法でムネ肉モモ肉を別調理で、ひと鍋づつ二度掛け卵でとじたものに、熟成手羽肉に旨みの鶏粉をかけて深い味わいだという。
同店には、先代の七代目耕路氏がご健在の平成5年だったか、東京軍鶏を作り上げた元東京都畜産会常務の名倉清一先生にご案内をいただいて伺ったことがある。
平成4年に「江戸東京・ゆかりの野菜と花」(農文協)を、JA東京中央会が発刊したが、それを読んだ畜産関係者から、畜産の本も出してくれという反響があり、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」の出版の準備をしていた時に、名倉先生と同店の2階で軍鶏鍋を味わっている。
したがって、裏表紙には東京軍鶏のつがいを掲載した。
創業は、宝暦十年(1760)と云うから九代将軍家重の時代で
260年になろうという。
大正12年の関東大震災以前の店先には、
仕入れてきた鶏の入った鳥籠が並んでいる。
昔は「玉秀」と表示していたようだ。
同誌には七代目に伺った話を掲載したが、
東京しゃものうまさが生きる「玉ひで」。
烏料理の包丁さばきは「御鷹匠仕事(おたかじょうしごと)」
と呼ばれる由緒ある技法で、肉に手をふれずに薄く切る(写真右上)。
と書いている。
耕路氏のお祖母ちゃん、
五代目の女将が明治24年に考案したのが親子井で、
昼前から行列ができたいうから、人気は昔からだ。
追録
同店は「とうきょう特産食材使用店」になっている。