「江戸東京野菜 四谷菜園の会」のメンバーの一人だったフリーランスライターの齋藤香さんを、青茎三河島菜の栽培を行っている尾久宮前小学校の授業に案内したことは、紹介した。
先月だったが、四谷菜園の会を実施していた絵本塾出版が千駄ヶ谷に移転したことに伴い、四谷でお別れ会が開かれた。
そこで同席した齋藤さんが、荒川にお住まいなので、青茎三河島菜でイベントを展開したいという。
それだったら、いろいろ勉強してもらう必要があるからと、一番近いところで、小平の宮寺光政さんと荒川区立尾久宮前小学校に行くのでと、お誘いしたというもの。
小学校の次は、JR三河島駅と三河島稲荷神社、さらに荒川区観光振興課、三河島菜に関連して観音寺にも行きましょうと伝えたら、
そこは地元ということで、齋藤さんが都電に乗ったら荒川区役所は近いというので、逆に案内してもらった。
荒川区では2012年 当時、観光振興課の谷井千絵課長が、青茎三河島菜に注目をいただいて、三河島菜は荒川区の観光資源だとも言っていただいて区のHPに掲載してくれている。
最近では、日暮里マルシェと、区役所地下食堂で三河島菜を使用したメニューを日替わりで提供すると紹介している。
2015年に後任の中野猛課長は、同課主催による、三河島菜の勉強会を都立農産高校で開催してくれているが、その後、ご無沙汰をしていることから、齋藤さんを紹介する意味も含めて、ご挨拶に伺い、
ご担当の、事業調整担当の山崎竜也係長と本宮麻衣子さんにお会いしてきたが、農産高校での勉強会など再度実施するようにお願いをしてきた。
荒川区役所から三河島駅に向かう途中の明治通りに面して観音寺に立ち寄った。
荒川区教育委員会の説明版、「あらかわの史跡・文化財」に「徳川将軍鶴おなり(観音寺)」が立てられていた。
江戸時代の三河島近辺は鶴の飛来地で、将軍が鷹狩りで、鶴を捕獲するために、毎年十一月からの農閑期に、竹矢来で囲いを廻らして、鶴の餌付けをして飛来地を守っていた。
八代将軍吉宗以降の将軍は鷹狩りに頻繁におとずれたという。鶴の捕獲を目的とする放鷹は「鶴お成り」と称され、捕らえられた鶴は天皇に献上する習わしがあったという。
三河島筋での鶴お成りの際には、観音寺か法界寺が御膳所に充てられ、寺では土地の名産「三河島菜」を献上していたと、説明板にある。寺の若奥様かお話を聞いたが、それ以上のことはわからなかった。
三河島駅までの途中に「三河島稲荷神社」があり、農業説明板「三河島菜と枝豆」が建立されているが
うっかり道を間違え通過して、三河島駅に
三河島駅では、毎年栽培していることは伺っていたが、駅員さんに伺うと今年は生育が悪いという。
12時頃に伺ったが、日陰での栽培。
毎年同じ場所での栽培だから、連作障害か、今年の天候なのか・・・
宮寺さんは現状を見て、種をまく前に、酸性化しているようだから、石灰をまき、たい肥と、肥料を入れて、柔らかく耕すことが必要だったとの感想。
むしろ大きめのプランターで日当たりの良いところで栽培することをお勧めするとのこと、・・・
駅員さんは、忙しそうだったのでお伝えすることはできなかった。