今回は、日刊スポーツが紹介いただいたので、大勢の方が参加された。
開会にあたり、
主催者の東京都農住都市支援センター矢島清専務の挨拶で始まったが
同センターが実施している「江戸東京野菜めぐり」のバスツアーは、
2010年の国分寺・三鷹コースで始まって10年目、
京橋大根河岸コースが2011年に始まり9年目を迎えたと、挨拶。
京橋大根河岸青果市場、そもそもは寛文年間に数寄屋橋の辺りに
周辺農家が野菜を持ってきて売り始めたが火事になり、
寛文4年(1664)に数寄屋橋と同じ水運に恵まれた京橋の地に移り、
大根が集まる市場として発展したが、
1935年に東京府の市場法の改正により、
関東大震災の被害を受けて先に移転していた日本橋魚河岸と
同じ築地市場に移転した。
そして、2018年に魚河岸とともに豊洲市場に移転した。
2017年、この地は「京橋大根河岸おもてなしの庭」
として整備された。
1964年の東京オリンピックのために京橋川は埋め立てられ
高速道路となったが、
かつての護岸が整備の中で掘り出され、のぞき込む参加者。
(写真右下)
主催者として担当の高梨敦子課長からコースの案内。
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鍛冶橋から、日本橋魚河岸跡を通って人形町、
清洲橋を渡って万年橋で下車。
万年橋の袂にあった「川船番所」
徳川家康は、戦国時代の兵糧攻めを恐れて、
行徳から塩を江戸に運ぶために、
小名木四郎兵衛に命じて一直線の水路を開削したという。
番所では、「入り鉄砲に出女」を厳しく見張った。
入り鉄砲は、鉄砲などの武器をチェック。
出女は、参勤交代で江戸に住まわせた諸大名の妻女が
江戸から逃げないように厳しく取り締まったこと。
この番所は、明暦の大火で火災にあい、
小名木川の東、中川口に移転した。
昨年から工事が続いている清洲橋。
オリンピックに向けてのお化粧直しとか
関東大震災の復興計画の一環として架橋されたもので、
ドイツ・ケルンの橋をモデルに作られた美しい橋。
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芭蕉庵史跡展望庭園から、隅田川、小名木川を望む
写真右下は、横浜からのお客様、左から岩崎さん、笹園さん、
森玉さんは、亀島由美子さん(江戸東京・伝統野菜研究会)のお友達。
お隣は埼玉から
森川洋一さん(江戸東京野菜コンシェルジュ8期)ご夫妻。
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浮世絵の中川口は、小名木川と中川が合流し、
その先は新川につながっているが、現在は、せき止められている。
荒川放水路の開削によって、新川が分断された。
平成9年に農業の説明板を香取宮司のご理解をいただいて設置した。
今回のバスツアーの最高責任者は斎藤隆雄部長。
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香取神社は飛鳥時代の天智天皇4年(665年)、
東国下向中だった藤原鎌足が香取神社を勧請して創建されたと
伝えられ、東京でも1、2番に古い神社。
最近では、スポーツ振興の神様として、信仰が篤い。
昼食は、亀戸大根の入った、升本のお弁当。
亀戸香取神社のある所は、昔「亀島」という島だったとかで、
何年か前に、香取宮司とお知り合いになった、亀島由美子さん。
東京都農林総合研究センター江戸川庁舎にバスを駐車して、
近くの鹿骨の生産者・中代正啓さんのハウスで亀戸大根の収穫体験。
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形のいいのが収穫できた皆さん。
中代さんが栽培した、
江戸東京野菜の小松菜「ごせき晩生」が参加者に配られた。
中代さんのところから、
地元JA東京スマイルの齋藤真史営農指導課長と
細谷隆敏広報係長に同行いただいた。
今年から、JA東京中央会では、
新たに江戸東京野菜を栽培する生産者に普及奨励金を出すことから、
小島さんに、伝統小松菜の栽培を勧めていたが、感触が良かった。
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収穫体験では、
事務局から配られたポリ袋にいっぱいの収穫を楽しんでいた。
事務局スタッフ

江戸川総合文化センターにバスを駐車して、
センター裏の小松川境川親水公園について・・・。
1964年のオリンピック以後、
用水の周りに人家ができて1970年頃は雑排水が入り込み、
どぶ川になっていたが、1982年に小松川境川親水公園ができた。
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親水公園を渡って、小松菜の里、新小岩の香取神社で
江戸東京野菜の伝統小松菜について説明。
追録
アンケートの集計はここから。
皆さん楽しんでいただけたようだ。
ありがとうございました。