22日から外宮、23日には内宮を訪れ、
即位の礼と大嘗祭が終わったことを報告されたと、
テレビが報道していた。
この日は、大嘗宮一般参観を終えて天守台の裏、北詰橋門を出て
半蔵門に向かったが、乾門まで来ると物々しいので
警備の警察官に聞くと5分後に天皇陛下が来られるという。
こんな偶然もあるんだと、陛下をお待ちした。
撮影した写真のデーターから10時30分、赤坂御所からの天皇陛下に
にこやかに手を振っていただいた。感激!
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皇室の方は、皇居には半蔵門から入るものと思っていたが、
乾門から入ることもあるんだ、
特別なことかと思いながら、半蔵門に向かったが、
半蔵門も厳重な警備で、警備の警官に聞くと、
ローマ教皇が、今通過(10時43分頃)したという。
帰宅して知ったが、
天皇陛下はローマ教皇フランシスコと11時に会見したと
報道していた。話は繋がった。
21日から土日には大勢の方が参観されると思うので
月曜日の9時半頃に
坂下門の手荷物検査とセキュリティーチェックの行列に並んだ。
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皇居に来たのは、2013年に孫娘と来て以来だが、比較的すいていた。
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天守閣が、復元されていない中で、一番江戸城を実感する櫓だ。
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位の高い武士が勤務していたところで、
明治になると改築されて作業場になっていたが、
昭和43年に、江戸時代の姿に復元されたとあった。
上の画像をタップすると、宮内庁前でもらった資料
東京の奉耕者が供納した庭積机代物が
どのような形で大嘗祭で使われたのかを知りたかったからで・・・。
東京は悠紀地方にあたり、南神門に向かって右側に位置する。
男子皇族が参列された小忌幄舎(おみあくしゃ)の奥の白い屋根が
庭積帳殿で、そこに各県から供納された庭積机代物が供えられた。
宮内省では大きい物、臭いのある物、傷みやす物は避けるように
との指示に沿って各県が選定したもので、
比較的に乾物が多くなっていた。
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南神門(左上)、小忌幄舎と庭積帳殿(右上)、膳屋(かしわや右下)、
庭積帳殿が小規模の建物なので、
後日、宮内庁式部職に電話で問い合わせると、
庭積帳殿内に机があり、
その上に三方に、県別に全量盛るのではなく供納品目別に盛るそうで、
しかも椎茸のように各県からたくさん供納されたものは
一品種として少量盛られたという。
膳屋や柴垣には、常緑樹の小枝が刺さっていた。
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主基地方の庭積帳殿(左下)は、小忌幄舎の奥の白い屋根。
主基殿(右下)を裏側から、斉庫(左上の左)は、新穀が入ってる。
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天守台は、今回は立ち入り禁止になっていた。
この後、天守台の裏北詰橋門を出て、トップの写真に繋がる