練馬大根の取材依頼が1月になっても続いていて、先日もテレビで練馬大根を1月の中旬に取材をするというので、生産者に1月まで畑に置いといてほしいとお願いした。
中には2月になってから料理に使いたいという料理人もいて、早めに云ってくれれば、生産者にお願いできるのだが、練馬大根は12月に全部抜いて干し大根にするから、1月にはないのだ。
江戸東京野菜のお話をするときには、代表的な野菜として、練馬大根を事例にすると分かりやすい。
練馬大根は、五代将軍の綱吉がまだ右馬頭だった頃に尾張から取り寄せたと云われている。
練馬の桜台で栽培すると大きな大根が収穫できた。その後、江戸では沢庵漬けとして普及し始まると、練馬大根の「タネ」は江戸土産として全国に持ち帰られたというストーリー。
その一つが、遠く鹿児島の指宿に伝わって山川大根の名がついていた。
このことを教えてくれたのが、元鹿児島県農業試験場長だった田畑耕作先生で、2011年10月に、野菜と文化のフォーラムが主催する野菜の学校で「鹿児島の伝統野菜・地方野菜」を講演されたときに、その写真をいただいた。
ネットで調べてみると、山川大根は練馬大根で、伝統の漬物が、販売されていた。
その後、熊本で行われた九州伝統野菜フォーラムで、練馬大根の説明の中で加えたのをはじめ、今では全国にある練馬大根の事例としてパワーポイントで使っている。
「古代は黄色く熟した実を食べていた。」
古代野菜木簡の出現で京都の久保功先生に教えていただいたが、きゅうりは黄瓜(きうり)で、若採りで食べ始めたのは、室町の頃だという。
余談だが、きゅうりを「胡瓜」と書くが、これ以外に、胡麻(ゴマ)、胡桃(クルミ)、胡椒(コショウ)、最近は使わなくなったが胡蘿蔔(ニンジン)がある。
これは中国から伝わった野菜などで、中国で「胡」は外国から伝わったもので、特にシルクロードを経て入ってきたものだ。
東京の檜原村に伝わる白岩 (しらや) うりは、鈴木留次郎さんに案内いただいたが、肌が黄色くなった頃が収穫期で、きゅうりとして若採りはしない。
12月1日に生き物文化誌学会から発行された、「特集日本の野菜」の特集で、田畑先生が「鹿児島の伝統野菜」を書いていて、そこに白岩ウリと同じような写真「シマウリ」が掲載されていた。
早速、田畑先生に電話をしていろいろと伺ったが、鹿児島の伝統野菜に掲載してあるように、奄美大島の十島村で栽培されている在来種の白イボの地這キュウリで、白岩うりと同じように、収穫適期は果皮で判断し、淡緑色から黄色に変化時が目安で収穫するという。
先日、練馬の井之口喜實夫さんとの雑談で、井之口家でも子供の頃は、自家用は黄色くしてから収穫していたと云う。収穫すると半分に切り、スプーンで種をかき出し、ぬか漬けにして食べていたという。
白岩ウリは、2017年に江戸東京野菜に登録された。