2020年03月29日

セルリーの大産地静岡で栽培する武藤さんからセルリーが送られてきた。


静岡県大井川町宗孝の武藤可六さん(JAおおいがわ組合員)から、大箱に入ったセルリーが送られてきた。
武藤さんも、現役時代に一緒に仕事をした同窓で、大井川町で先進的な農業に取り組んでいる。

スーパーなどではセロリで販売されているが、セルリーの名に注目した。
セロリを、英語で書くと「selery」で、これをフランス語の発音で「セルリー」となるという。

東京でも清瀬市の並木猛さんが、セルリーを栽培していて、今年も3月29日から収穫作業を始めると聞いている。

並木さんは、かつて江戸川で、「日本一のセルリー」をブランドとして栽培していた伊藤仁太郎さんの教え子で、教え通りの栽培手法をとっている。





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セルリーのルーツについて知らなかったが、武藤さんから送ってもらったことで、調べてみた。

セルリーは加藤清正が朝鮮出兵で、日本に持ち込んだとされており、セルリーの味わいから「清正人参」と呼ばれている。
加藤清正の肥後熊本には、清正人参として伝わり、栽培している農園もあるようだが、種苗会社のF1だというので、熊本市のひご野菜や、熊本の伝統野菜にはなっていない。

1800年頃には、オランダ船が持ち込んだとの説もあり、香りが独特だったために普及しなかったという。

武藤さんの静岡県では戦前に旧豊田町の有識者によって導入されたのを始まりとし、1943(昭和18)年には浜松市東区豊西・中ノ町地区で栽培されるようになり、さらに県内各地区へと生産が広まっていった。

朝鮮戦争による特需が1950年(昭和25)にあり、浜松市で栽培されているセルリーは、1951(昭和26)年にアメリカのユタ州から取り寄せたタネ「コーネル619」を基に、関係指導機関が一体となって改良を行い育成した。

清瀬の並木さんも、師匠の使っていた「コーネル619」を引き継いでいる。

1953(昭和28)年には駐留米軍からセルリーの栽培地が「清浄蔬菜栽培地」の認定を受け、一層の産地拡大が図られた。
駐留米軍特需用に加え国内需要も拡大し、農業用ビニールハウスを利用した作型開発による作業の効率化が行われていった。

このような経過を経て、現在全国シェアのトップ3を長野、福岡と争っていて、年間出荷量こそ長野に首位を譲っているが、秋から春(11月〜5月)にかけては温暖の静岡県浜松市産の出荷量が日本一だという。

セルリーの物語も調べてみると奥深い
調べながら、武藤さんのセルリーを、美味しくいただいている。
武藤さん ありがとうございました。

posted by 大竹道茂 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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