2020年04月18日

東京23区の「農」の歴史文化を訪ねて第4弾


東京23区の「農」の歴史文化を訪ねて、第3弾は紹介したが
農地(農地法で定められた)のない区として千代田区、中央区に続き

港区と新宿区を紹介する




1-1.JPG

港区の場合
東京のシンボルのひとつ東京タワーは昭和33年に
増上寺の西側に竣工した。
増上寺には、徳川の将軍などが埋葬されている。
二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の
6人の将軍の他、女性では将軍正室の5人、将軍の側室の5人、
その他、将軍の子女を含む計38人。

家康の思いを実現して、美濃から真桑うりを持ち込んで、
府中で栽培させた二代将軍秀忠、
九代将軍家重に献上された江南竹を孟宗竹と名付けている。
この経過は、「江戸東京野菜には一つひとつに物語がある。」に
書いている。

上の画像をタップする
昨年、港区立三田図書館の依頼があって、港区の農業について
お話をしている。

増上寺の南に、四国町があり、そこには薩摩藩邸があり、
孟宗竹が薩摩から移植されの、竹林がありました。

大政奉還後に起こった旧幕府側とのトラブルから
慶応3年(1868)12月24日、焼き討ちにあい薩摩藩邸は延焼した。

薩摩藩邸跡は、しばらく薩摩っ原と呼ばれるような空き地となるが、
明治10年に内藤新宿試験場の分場「三田育種場」が設置される。

明治44年には、日本電気(NEC)の建物が建築されている。

今年2月には、港区高輪図書館でも生活セミナーに呼んでいただいた。

江戸東京野菜を使っている港区の飲食店は7店






2-1.JPG

新宿区の場合 
文武天皇(701〜704)の時代、早稲田から戸塚に向けた一帯には
牛が多く、この元赤城神社一帯は、牛の放牧場で、
神崎の牛牧と云われました。

鳴子ウリの農業説明板は、成子天神社に建立されている
神田川の流域の柏木小学校では
2013年から鳴子ウリの栽培が行われている。

早稲田ミョウガの農業説明板は、早稲田の穴八幡宮に建立されている。

2010年6月29日に早稲田ミョウガ捜索隊が結成され、発見された。

早稲田大学には、モニュメントがある。

内藤トウガラシとカボチャの説明板は花園神社に建立してある。

内藤トウガラシプロジェクトによって、
内藤とうがらし苗の即売が行われているが、今年は中止。

新宿御苑は、高遠藩主内藤清成の下屋敷だったが、
明治5年、内藤家の下屋敷に内藤新宿試験場が開設され、
牧畜掛、樹芸掛、農事修学所、製茶掛、農具掛、農学掛などを設置し、
その後、皇室庭園となり、現在国民公園・新宿御苑となった。

江戸東京野菜を使っている新宿区の飲食店は12店


posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境
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