江戸・東京の農業説明板建立は、農業協同組合法施行50周年記念事業として平成9年に実施されたが、都内に設置した50本の説明板の一つが、「ビール麦の金子ゴールデン」で、育成者・金子家の産土様・豊玉氷川神社に建立した。
平成14年夏、JA東京中央会が伝統野菜の復活栽培の調査の中に、ビール麦の金子ゴールデン(種子)が、独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンクに保存されていることが分かったことから、改めてビール麦金子ゴールデンの育成者、金子丑五郎翁の功績を称え、ビールの復活を、の声が地元練馬から上がった。
これにより、“種類・二条大麦(ビール麦)、品種名・金子ゴールデン、保存JP番号・00016846”
を、平成15年1月に中央会が申し込み、金子ゴールデン記念碑建立実行委員会は同年2月に発足している。
当初、平成16年には建立する予定だったが、ビール醸造が計画されたことから建立は18年となったもの。
建立実行委員会(加藤源蔵会長)から、碑文の作成を依頼され、相談役に任命された。
この金子ゴールデンは明治33年に現在の練馬区豊玉の金子丑五郎が、六条大麦品種の「四国」と米国ビール麦品種の「ゴールデンメロン」の自然交維の雑種の中から選び出した品種です。
また、申請によりジーンバンクから譲り受けた僅か120粒の種子を、練馬地区の生産者が3年をかけて収量を600kgに増やし、地ビール醸造は、茨城の木内酒造に依頼し、平成18年10月16日、記念碑建立の祝宴で、金子ゴールデンビールとして振る舞われました。参加者はその歴史とともに苦みの奥に甘みのあるビールに感嘆の声を上げました。

碑は、ビール樽を二つに割った形で、金子ゴールデンの穂が彫り込まれている。
これは、平成10年10月に石神井に建立した「甘藍の碑」に描いた写真が好評だったことから取り入れたもの。
ビールのラベルには、西陽を背景にした金子ゴールデンの穂の写真で、
「金子ゴールデンは、明治三十三年東京府北豊島郡中新井村の篤農家金子丑五郎翁によって育種された。
日本のビール黎明期 この金子ゴールデンの果たした役割は大きく 金子丑五郎翁の功績を称え さらに地域文化として伝承する。」
当日は、金子家からは金子定生、静江夫妻が参加された。