企画・発行JA東京中央会で、平成8年3月31日農文協から発売された。
“江戸・東京 ゆかりの野菜と花”
平成2年に出版されたことは紹介した。
「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」は、
都内の小中学校に贈呈したことから、反響も大きく好評だった。
執筆メンバーの薄井清氏
(農民作家・元東京都農業改良普及所で畜産の専門技術員)と
植松文雅氏
(愛隣堂動物病院長・元東京都西多摩農業改良普及所長)は、
江戸・東京シリーズとしての畜産の本も作ってもらいたいと、
企画・発行のJA東京中央会加藤源蔵会長に要請したことから、
会長は快諾した。
当時、東京都農林水産業後継者育成財団の事務局長をされていた、
鈴木茂則氏(元東京都畜産課長)が編集者メンバーに加わった
のをはじめ、
東京軍鶏を育成した、名倉清一氏(元東京都畜産会常務理事)、
羽生章氏(元東京都畜産試験場研究員)、
中央会参与の吉田和雄氏(元東京都農芸緑生課長)にお願いした。
同誌の「まえがき」には
人間と動物の共存の歴史は古く、古代遺跡から猪、鹿などの骨が出土していることでもわかります。農耕文化が定着すると、牛や馬などは貴重な労働力となりました。
その後、仏教が伝来すると、宗教上の教えから殺生を慎み、四つ脚の動物を食べることを忌み嫌うようになります。
江戸時代になると、鎖国政策により諸外国の文化が遮断されたため、家畜を飼育したり増やしたりする産業である畜産の導入は大幅に遅れました。
日本人が一般に牛肉を食べるようになったのは幕末の開国以降です。
明治維新後、ヨーロッパ文明の導入を進める政府の乳肉食奨励策も手伝って、明治天皇が牛乳や牛肉を召し上がったことがセンセーショナルに新聞報道されました。
外国人の居住が増えることによって牛乳などの需要が高まり、麹町・紀尾井町などの大名屋敷の跡地にはたくさんの牧場ができました。現在のイギリス大使館の裏には、有名な阪川牧場が移るなど、明治20年のころには東京の中心部が酪農日本一になっていたのです。
大正10年には八丈島の乳牛グランソン号が世界一の乳量を記録するなど、日本の畜産の発展に大きく貢献し、牛、豚、鶏に加えて、山羊、羊、うさぎ、蜜蜂なども、国民の健康と人類の発展をささえてきました。
昭和30年代後半、東京オリンピックをひかえて東京郊外の都市化が加速する時期に、東京の畜産はピークを向かえました。その後も、関係者の畜産振興にたいする努力は続いています。たとえば、私たちJA東京グループは、大都市・東京の畜産の果たす役割を理解してもらうため、「ちびっこ農業教室」などを通じて、ホルスタインの乳しぼりなどを体験する機会をつくり、その感動を作文につづってもらっています。
改めて家畜の果たした役割を考えるとともに、動物を愛し、東京の畜産を支えてきた先
人たちの足跡を後世の皆さんに伝えたいと、このたび本書の刊行を企画いたしました。
会長 加藤源蔵
この本は、都内の小中学校に贈呈されたほか、国会図書館を始め、
都立、都内の図書館に贈呈されました。