として調布・深大寺周辺を掲載した。
そば店主「客足戻って」「動画で写真紹介 地域の魅力発信」
斉藤三奈子記者が報じていた。
記事によると、
深大寺「そばごちそう門前」の店主・浅田修平さん(73歳)が、
テレビ会議システム「Zoom」を経由して、
動画投稿サイト「YouTube」に「昭和30年代の深大寺散歩山門周辺」
としてライブ配信した。という。
浅田さんは、深大寺一味会の副会長で、
先日は、NHKBS 『新日本風土記 松本清張鉄道の旅』で、
インタビューを受けたと云うので番組を紹介したが、
「YouTube」も視聴したので紹介します。
43分47秒にわたる「昭和30年代の深大寺散歩山門周辺」が
youtubeで配信されていると、友人に紹介した。
後で、友人にどうだったと聞くと、
「浅田さんの写真に注目していたが、映像が不安定だから
目が回って気持ち悪くなった。」という。
そして「写真をじっくり見たい」というので、
浅田さんに頼んで何枚か送ってもらった。
この上の写真は、撮影年月日が明らかです。
1955年(昭和30年)8月7日・日曜日。
撮影者の話ですと、このころのカメラは高級品で、
当時の大卒の初任給と同額だったと言われました。
カメラ愛好家の仲間と深大寺へ訪れたとのことです。
この店の2階で、数年後松本清張さんが『波の塔』の
深大寺の章の執筆をされたと、姉から聞かされました。
下の写真は、島田屋さんの前に京王バスの停留場があり、
つつじが丘からのバスは、ここでユーターンして戻りました。
上の画像をタップする
今は、突き当りにバス通りがありますが、
当時は畑で道路はありませんでした。
写真の中央に、弁財天池からの湧水が流れ、暗渠が見えます。
左側に、百日紅の花が咲いています。今もあります。
現在のバス停のあたりに、太い大杉が写っています。
この写真は額に入れてお店に掛っています。
「時雨茶屋」があって、そばを食べさせていて賑わっていました。
深大寺では、鶏を飼っていて、客が餌をくれていました。
上の画像をタップする
時雨茶屋は、叔父さんの浅田力造氏の店ですが、
その後、境内から現在のバス停近くに移転しました。
この写真も、額に入れてお店に掛っています。
都立農業高校神代農場では、虹鱒の養殖を行っていて、
農場の先生が来て、使わないかと云ってきたことから、
やりましょうと、虹鱒料理の看板を出しました。
上の画像をタップする
店には湧水を引いた生簀があり、虹鱒を飼っていて、
松本清張氏が好物で、度々みえました。
一休庵の前を調布市立深大寺小学校の3年生(現在70歳近い)が下校中で、
店にはまるいものがつるしてありますが、
柿を枝ごと取って売ってます。(調布は甘柿の禅寺丸が多かった。)
上の画像をタップする
今(写真左)と比べるとお滝の水流が違います。
(植物公園周辺の宅地化が影響しているのか。)
境内の「時雨茶屋」が大杉の後ろに移転しました。
現在の「鬼太郎茶屋」のところです。
上の画像をタップする
現在のバス停近くの、観光案内所の通りの一角です。
男の子達は誰だかわかります。
しかし、この写真がいつ撮られ、なぜ店にあるのか不明です。
この頃から女の子の強さが遊びにも出てきています。
写真を送っていただいて
浅田さん、ありがとうございました。
尚 深大寺は東京都の要請に沿って閉門中ですが
深大寺 そばごちそう門前はホームページでご確認ください。