2020年05月19日

「昭和30年代の深大寺散歩 山門周辺」は、浅田さんの話に興味がわいた。


毎日新聞が5月15日、「新型コロナ 街はいま」
として調布・深大寺周辺を掲載した。

そば店主「客足戻って」「動画で写真紹介 地域の魅力発信」
斉藤三奈子記者が報じていた。

記事によると、
深大寺「そばごちそう門前」の店主・浅田修平さん(73歳)が、
テレビ会議システム「Zoom」を経由して、
動画投稿サイト「YouTube」に「昭和30年代の深大寺散歩山門周辺」
としてライブ配信した。という。

浅田さんは、深大寺一味会の副会長で、
先日は、NHKBS 『新日本風土記 松本清張鉄道の旅』で、
インタビューを受けた
と云うので番組を紹介したが、
「YouTube」も視聴したので紹介します。





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上の画像をタップするとyoutubeへリンク
43分47秒にわたる「昭和30年代の深大寺散歩山門周辺」が
youtubeで配信されていると、友人に紹介した。

後で、友人にどうだったと聞くと、
「浅田さんの写真に注目していたが、映像が不安定だから
目が回って気持ち悪くなった。」という。

そして「写真をじっくり見たい」というので、
浅田さんに頼んで何枚か送ってもらった。






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深大寺の山門から撮った写真です。

この上の写真は、撮影年月日が明らかです。
1955年(昭和30年)8月7日・日曜日。
撮影者の話ですと、このころのカメラは高級品で、
当時の大卒の初任給と同額だったと言われました。

カメラ愛好家の仲間と深大寺へ訪れたとのことです。
この店の2階で、数年後松本清張さんが『波の塔』の
深大寺の章の執筆をされたと、姉から聞かされました。

下の写真は、島田屋さんの前に京王バスの停留場があり、
つつじが丘からのバスは、ここでユーターンして戻りました。

上の画像をタップする
今は、突き当りにバス通りがありますが、
当時は畑で道路はありませんでした。

写真の中央に、弁財天池からの湧水が流れ、暗渠が見えます。
左側に、百日紅の花が咲いています。今もあります。
現在のバス停のあたりに、太い大杉が写っています。

この写真は額に入れてお店に掛っています。





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かつて、境内の山門の脇(現在の授与所)には
「時雨茶屋」があって、そばを食べさせていて賑わっていました。
深大寺では、鶏を飼っていて、客が餌をくれていました。

上の画像をタップする
時雨茶屋は、叔父さんの浅田力造氏の店ですが、
その後、境内から現在のバス停近くに移転しました。

この写真も、額に入れてお店に掛っています。






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昭和36年の写真です。
都立農業高校神代農場では、虹鱒の養殖を行っていて、
農場の先生が来て、使わないかと云ってきたことから、
やりましょうと、虹鱒料理の看板を出しました。

上の画像をタップする
店には湧水を引いた生簀があり、虹鱒を飼っていて、
松本清張氏が好物で、度々みえました。







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昭和36年の写真ですが、
一休庵の前を調布市立深大寺小学校の3年生(現在70歳近い)が下校中で、
店にはまるいものがつるしてありますが、
柿を枝ごと取って売ってます。(調布は甘柿の禅寺丸が多かった。)

上の画像をタップする
今(写真左)と比べるとお滝の水流が違います。
(植物公園周辺の宅地化が影響しているのか。)







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今のバス停から山門の方を望むと、太い大杉がありました。
境内の「時雨茶屋」が大杉の後ろに移転しました。
現在の「鬼太郎茶屋」のところです。

上の画像をタップする
現在のバス停近くの、観光案内所の通りの一角です。
男の子達は誰だかわかります。

しかし、この写真がいつ撮られ、なぜ店にあるのか不明です。
この頃から女の子の強さが遊びにも出てきています。


写真を送っていただいて
浅田さん、ありがとうございました。

尚 深大寺は東京都の要請に沿って閉門中ですが
深大寺 そばごちそう門前はホームページでご確認ください。

posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | そぱ・うどん・ソバリエ
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