2020年07月17日

新宿区立西新宿小学校の5年生が毎年取り組んでいる、内藤カボチャの栽培授業がようやく始まった。


新宿区立西新宿小学校(長井満敏校長)の5年生が取り組んでいる、
内藤カボチャの栽培授業がようやく始まった。

新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐことから、
長期臨時休校が行われたことから、授業が遅れていたが、
内藤カボチャの苗は、すでに定植されていて、
内藤カボチャについての調べ学習も始まっているようだった。





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上の画像をタップする
授業は、吉田順子教諭、川崎香澄教諭の指導で
1組、2組が合同して体育館で行ったが、マスクをつけて、
ソーシャルデスタンスをとって行われた。

生徒達は盛んにメモを取っていた。

内藤カボチャは、新宿御苑が、信州高遠藩の藩主・内藤清成の
下屋敷地だったが、広すぎて現在の玉藻池のある辺りが屋敷で、

広い屋敷地にはたくさんの小作を入れてカボチャや、トウガラシを
栽培していたものだが、大政奉還により内藤家は屋敷地を政府に返し、
その後、屋敷地は内藤新宿農事試験場(御苑の前身)となった。

内藤家の小作人たち家族は、青梅街道を淀橋方面と
甲州街道を角筈方面に移り住んだ。
同校の地域は角筈(つのはず)と云われたことから角筈カボチャ
と呼ばれていた。





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歴史の話などには、興味を持って聞いてくれた。
「カボチャはどこから来たの」で話題を世界に向けた。

大航海時代の1492年、クリストファー・コロンブスは、
アメリカ大陸を発見し、
カボチャ、ズッキーニ、トウモロコシ、トマト、インゲン豆、
ジャガイモを持ち帰ったと、話したが、

当時、カボチャの事をなんて呼んでいたかについては時間の関係で
話していない。

コロンブスは、スペインの後ろ盾で、3艘の帆船で持ち帰った。
その後、カボチャはヨーロッパ各国に、そして世界に伝った。
スペイン語で「Calabaza」(カラバザ)。





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大分駅前には、クリスチャン大名の大友宗麟像がある

1541年、ポルトガルの船が、カンボジア経由で
九州の豊後(大分)に漂着し、藩主大友宗麟に献上している。

カンボジアから来と「カボチャ」と伝わった。

上の画像をタツプする
今日「宗麟(そうりん)カボチャ」として大分に伝わっている。

また、1592年長崎に、ポルトガル人が持ち込んだとの説もある。
ポルトガル語の「Abobora」(アボボラ)から「ボウブラ」と呼び。

熊本の伝統野菜の
ひご野菜には「ボウブラ」と「カボチャ」
の名で伝わっている。

江戸では内藤カボチャも「唐茄子(トゥナス)」と呼ばれていたし、
大阪には「勝間南瓜(コツマナンキン)」の伝統野菜があり、

日本では、カボチャ、ぼうぶら、とぅなす、なんきんの名で
呼ばれている。

生徒達には、カボチャの名前を調べることも・・・・、
担任の先生を通して伝えてもらおうと思っている。


追申
令和2年度都市農業機能発揮支援事業(農林水産省)を実施する
「農の機能発揮支援アドバイザー」として派遣された。




追申

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授業が終わった後、長井校長に内藤カボチャの様子を伺った。

上の画像をタップする
長井校長は同校の伝統を引き継ぎ大切に続けていこうと、
和太鼓の演奏と内藤カボチャの栽培には力を入れている。





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体育館の隣に、素晴らしい菜園があった。

上の画像をタップする
学年ごとに栽培しているようだが、
校庭とは、校舎で遮断されているから
ボールなどが飛び込むことのないスペースだ。

長井校長は、7月15日の「校長室だより」に掲載された。

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