連日の猛暑が続いている中で、秋冬産のキャベツの定植作業が8月中旬から行われていたが一段落した。
キャベツの導入は明治初年に横浜や神戸の外国人居留地向けの栽培が始まっていて、新宿農事試験場が発行した販売用のカタログでは、輸入品種の早生甘藍や、晩生甘藍などが掲載されているが、キャベツの名はまだない。
この、結球野菜の甘藍に着目したのが、東京府葛飾郡奥戸村(現在の葛飾区細田町)の中野藤助で、大正から昭和にかけて、中野藤助、中野庫太郎、中野真一と三代にわたって「中野甘藍」の代表的品種を作り上げた。
江戸東京の農業説明板「中野甘藍」は、細田の稲荷神社に設置されている。
東京を代表するキャベツ農家の井之口喜實夫さんの畑の一角に、日陰を作る柿の木がある。周りが住宅街になったことからトラックを入れるスペースにもなっている。
そもそも練馬にキャベツが導入されたのは、江戸時代から連作栽培が続けられてきた練馬大根に、昭和8年頃からバイラス病が発生し、年々発生は拡大していくことから、生産者はその対策に苦慮していた。
発生後10年の年月がかかってしまったが、昭和18年に大根に代わる安定作物への切り替えとして、年2回収穫のキャベツの試作が始まつた。
夏蒔き秋採り、秋蒔き初夏採り、春蒔き夏採り、昭和30年代に夏蒔き冬採りが導入されている。
昭和38年には萎黄病が蔓延したが、抵抗性品種(YR)が育成されてから、東京都では大きな病気もなく今日に至っている。
練馬では、時々雷雨が発生しているが、激暑の中では、土もフカフカであんなに元気だった苗もかわいそうなようだが、井之口さんは心配ないという。