そのイベントを支援する形で、図書館での講演は開催された。
新型コロナウィルスの感染拡大の懸念から、入り口で体温を測り、
アルコールで手を拭いてからの入場となったが、
ソーシャルディスタンスから、10名の限定だったが、希望者が多く、
2回の開催で20名となった。
講演の終わりには、都合のつく方だけで、地下鉄の早稲田駅まで
早稲田みょうがゆかりの地を案内した。
1時半の講演と3時の講演の間は30分しかなかったので、
1時半からの皆様には地図だけをお渡しした。
皆さんとの散歩コースは、
図書館から南に、鶴巻南公園まで行って右に、天祖神社、
天祖神社から早大通りに出て、モニュメントに
モニュメントからは、早稲田中学のみょうが畑へ、
みょうが畑から、穴八幡宮の境内・早稲田ミョウガの農業説明板へ
穴八幡宮の馬場下で解散。
全員で9名の参加となった。
みょうが畑の神明宮と云われた、天祖神社。
天祖神社境内には、氏子の皆さんの希望で、みょうがが植え込まれた。
上の画像をタップする。
地元の造園業の中田さんが井之口喜三夫さんの根茎を定植したもの。
講演には、中田さんのお孫さんがお母さんと参加されていた。
江戸名所図会を見ると境内はこんもりとしているが、
明治39年(1906)11月27日の朝日新聞によると、
神明宮境内の4分の3を削って早稲田実業高の新校舎ができたことで、
社殿は片隅に引き据えられた。
平成13年(2001)、その早稲田実業は国分寺に移った。
小野梓記念館前に。
記念館の西側からだと大隈講堂の時計塔がバックになって、
「モニュメント早稲田茗荷」の構図がいい。
上の画像をタップする
モニュメント「早稲田茗荷」の掲示を参加者全員が撮っていた。
小野梓記念館を設計した方が、小野記念講堂避難口の
設計裏話をブログに掲載している。
因みに、東京新聞に掲載されたみょうがの試食会には、
講演に参加いただいた草間壽子先生も参加されている。
上の画像をタップする
2010年の早稲田ミョウガ捜索隊が、初めてミョウガを見つけた場所は、宝泉寺の駐車場になっていて、10年、早稲田は変わっていた。
平成9年でした。
説明板には、「新編武蔵風土記稿」に紹介された・・・とした。
それは「早稲田村・・・・・民家二十軒村内多ク蘘荷ヲ植テ江戸二鬻ク是ヲ
早稲田蘘荷ト稱セリ・・・」とある。
始めは、早稲田通りに面したバス停の石垣沿いに建っていたが、
その後、馬場下の交番横の正面に移され、
現在は一の鳥居を上った左側の生垣の中に建立されている。
上の画像をタップする
地域力創発の森本言也代表も興味深く読んでいただいた。
参加した鶴巻小学校の3年生がここでも熱心に写真を撮っていた。
この後、馬場下で解散した。