2020年12月06日

武蔵國から舟運で江戸へ農産物が送られてきた中に、川越のさつまいもがあった。


平成9年(1997)に、江戸東京の農業説明板を、都内の神社などに50本も建立したことは、江戸東京野菜の復活・普及に役立ち、各地でまち興しのきっかけになっている。

平成18年(2006)、東京都北多摩郡の隣、埼玉県所沢市の神明社境内に「甘藷乃神」が祀られたという話は、吉田弥右衛門の末裔、吉田策さんから聞いていた。





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甘藷乃神には、その内お参りに行くとしていたが、14年もたってしまった。
子どもの頃、焼き芋は、落ち葉炊きの中にさつま芋を放り込んでおいて、焼けるのを待ったものだ。

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「甘藷乃神」は、川越いも作り初め255周年記念で遷座祭を行ったと説明板にはあるが、来年2021年は、270周年になる。イベントも行われることだろう





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当時、策さんから聞いたのは、弥右衛門が、なぜさつまいもの栽培を始めようと思ったのか、その切っ掛けは何だったのかと云うもので、

所沢市の説明板にも掲載されていないが、吉田家に伝わる話をお聞きしたので当時出版した「江戸東京野菜」(物語編)に、掲載させていただいた。

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奉納された青銅の狛犬は前足でサツマイモを抑えている。
社前にある「なでいも」をなでることで、神様の力をいただくのだという。

尚 吉田弥右衛門も紹介した「サツマイモ大図鑑(あかね書房)」を監修している。







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かつて、「富じゃ唐茄子、永井じゃ薩摩、日比田・亀ヶ谷 真桑瓜」と唄われたとある。
所沢市の日比田・亀ヶ谷地区で真桑瓜の栽培が始まったのが、家康・秀忠が、武蔵の総鎮守六所宮(大國魂神社)の近辺で栽培を始めた後からで、川越藩主柳沢吉保が将軍綱吉から頂だいたとなると時代が符合する。

所沢市教育委員会のふるさと研究グループの担当者に、日比田・亀ヶ谷地区の小学校などでの、復活栽培を提案したが・・・。

追録


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神明社の隣には、紅葉が美しいお寺が

上の画像をタップする、
毘沙門天を祀る多聞院がある。


奥多摩新四國八十八ケ霊場となっていて、東京都奥多摩とかいうのではなく、武蔵國という中での奥多摩の一角として数えられているようだ。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さつまいも
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