練馬区立光が丘秋の陽小学校(関根幸男校長)の佐藤綾子栄養教諭から6年生に、練馬の伝統野菜・練馬大根の歴史や食文化の話をする機会をいただいたのは同校に着任した2016年からで、今年は12月12日(土)に8時30分から一クラスずつ3クラスで実施した。
6年生は2015年に入学していて、1年生でトマトの栽培、2年生でサツマイモ、3年生で練馬大根、4年生でニンジン、カボチャ、5年生で稲作、6年生はジャガイモの栽培をしてきた。
2017年から、佐藤栄養教諭の計らいで、2年生は、江戸東京野菜の雑司ヶ谷ナスを栽培するようになった。
1年生から6年まで、野菜の栽培をしてきたことは素晴らしく、それまで食べられなかったナスを、雑司ヶ谷ナスを学校で栽培し、収穫したナスを自宅に持ち帰るようになってから、ナスが食べられるようになったという話を、当時の担任の先生と、佐藤栄養教諭にも伺った。
最初の自己紹介で、これまで1年生から6年生まで栽培した野菜の本、絵本塾出版が企画するシリーズ やさい応援団「まるごと野菜」は、同校の図書室に納められているが、同書の監修をしていることを紹介することで、児童との接点を見出した。
勿論、「だいこん」も発行されていて、練馬大根の物語から入った。
「五代将軍綱吉が、まだ松平右馬頭(うまのかみ)と云われた時代に、江戸で病気になり、陰陽師の見立てでは、城の西北に「馬」の字の付く場所があれば、そこに御殿を建ててそこで養生しろのお告げ、」の説を紹介。
現在、練馬区立北町小学校の裏に、御殿の碑がある。
練馬大根は、昭和8年に異常干ばつが大発生し、モザイク病が蔓延して、根が育たなくなった。
以後、病気は拡大して、練馬大根は作れなくなり、昭和14年頃よりキャベツの試作が始まり、練馬はキャベツの産地に変わった。
担任の先生から、児童たちが3年生の時に、練馬大根の栽培をした時のことを振り返りの質問。
児童たちは、それに応えて、「中々、抜けなかった」「折れてしまった。」と貴重な体験をしていた。
この学年から、佐藤栄養教諭が、田柄の上野農園で栽培するようになり、学校で「沢庵」を作ることにしたそうで、家に持ち帰った児童たちは覚えていて「美味しかった!」。
12月6日に、練馬大根引っこ抜き競技大会が行われ、抜かれた大根は、バックヤードのJA東京あおばの駐車場で洗われ、袋詰めされて練馬区立の小中学校に配布された。
袋を見ると、「展示用(葉付): 1本」とある。
展示用(葉付)は、給食の時に各クラスを回って大根を見せて回っている。
この日まで佐藤栄養教諭は、展示用葉付の練馬大根をとっておいてくれたから、これを使って、白首大根だと云う事を強調。
「練馬大根の抜き方を教えてください!」と、女子児童から質問。
大根から離れて抜くのではなく、大根を挟むように両足を踏ん張って、手だけで抜くのではなく、膝の屈伸で抜くことを、大根を使ってやって見せた。
私に与えられた時間は30分で、練馬大根の特徴、練馬大根の歴史についてお話したが、後は質問を受けた。
「江戸東京・伝統野菜「ねりまだいこん」について知ろう」の、ペーパーが配られ、児童たちは思い出しながら鉛筆を走らせていたが、「ご家庭から一言お願いします!」の文もある事から持ち帰るようで、児童には、今日お話した、練馬大根の物語を、お家で話してください!、と伝えた。
佐藤栄養教諭は、廊下に昔の新聞「NEWS TOKYO」を張り出してくれた。
光が丘秋の陽小学校の、3年生が収穫した練馬大根の干し場を見せてもらった。